バーリトゥード日記

バーリトゥード日記

ジェントルアーツ名古屋ブラジリアン柔術クラブ(NBJC)代表早川正城の日記です。
(題字:一ノ瀬芳翠)

カテゴリ : 柔術・武術・格闘技


「うちの指導方法では、必ず私はお弟子さんに、それが例え何十人いても全部直に技をかけるんです。東京の場合は多い時で80人くらい来る時があります。私はその全員に、古い人にも新しい人にも技をかける。ですから何百回とかけるわけです。他で聞くには、そういうことをしないというんですね。師範はただ見せて"これをやりなさい"という感じで。それは私は詐欺行為であると思います。やはり、六方会あるいは岡本という名前を聞いてここへ来る方ですから、その方に一年も二年も手に取らないのでは詐欺行為だと思います。直接手を取って、それでうまくいかなかったら自分が未熟なんだから」


「(ご自身の技について)まだまだだね(笑)。こんなことをいうと会員さんに怒られるんですけれどね、富士山で言えば5合目から 6合目あたりでうろついているんで、私としてはせめて8合目までは行きたいな、というつもりでいるんです」


高い技量と気さくなお人柄。誤解を恐れずに言えば、こんな爺さんになりたい^ ^♪。


写真は2001年8月(笑)。


20018 7日ブログ

http://diary.nbjc.jp/archives/134074.html


20043 23日ブログ

http://diary.nbjc.jp/archives/135483.html



追記:

岡本師範は2015年に逝去されました。享年89才。

佐藤クラス後はI師匠と練習。

内容は崩し。


崩しといえば柔道が有名だ。柔道の投げ技は崩し→作り→掛けのパートで成立している。まずは崩してから投げる。崩せなければ投げも容易ではない。


I師匠の崩しも相手の体勢を崩す考え方は同じだが、内容が異なるように思う。

その崩し方と方向を学んでいる。原理は消化しつつあるものの、崩れている方向をイマイチ読み取れずにいる私(^^;。だが、この読み取れないのが実は肝で、認識させないからこそ効果がある。崩れを認識できなければ立ち直れないからだ。


I師匠崩し再掲

詳細は控えるが、元来、崩しとはこうだったのではないかと思える。

逆説的だが、なぜ崩れないかを考えると人体がバランスを取るシステムも見えてくる。武術格闘技は人間を理解する研究でもある。


PS.I師匠サイト

PS.こちらは7年前のブログ
いくつかの術理がバラバラに点在し、まとまりなく、法則性や規則性もつかめていない。そこからはかなり進歩といえる(笑)。

「本当の超能力者が存在するとして、超能力の世界というもののカラクリ、そのタネを科学者達が科学的な学問で完全に解き明かすことは未だできていない」


「超能力や気は存在するかもしれないが、その正体は現在の科学では完全解明できていない」


「スプーン曲げでも、壊れた時計が直ってしまうとか、透視術でもなんでもよいけれども、超能力者がその超能力を用いて科学者(もしくは衆人)の目の前で不可思議な現象を起こす。しかし、その術理は目の前で見ている科学者にもわからない。問題は偽超能力者が起こす不可思議な現象のトリックも科学者(衆人)が見破れないということである」


「トリックの世界には超魔術師とも呼ぶべき高度なスーパーテクニックを持ったマジシャンが何人もいることは世間に認知されている。超能力者が本当に超能力を用いているとして、超能力原理はわからなくとも、彼らは超能力者と同じような、いや、それ以上に不可思議な現象を別の原理、術理(タネ=秘伝)を使って、衆人の目の前で起こすことができる」


「一方は超能力、かたやマジック。全く別の次元、異なった術理であるが、目の前で起こす不可思議な現象自体は全く同じなのである」


「本当は超能力も現象が起こる以上は理があるはずだが、現代科学ではわからない。これに対し、マジシャンの能力は深い修練に裏打ちされたアイデアやテクニックがあり、科学者に見抜くことはできなくても現代科学で説明できる理合が存在する」


「この不可思議な現象を「合気にかかった現象」に置き換えてみたとして、それぞれのカラクリを当てはめてみる。

1、超能力者の超能力

2、偽超能力者の偽超能力

3、スーパーマジシャンのテクニック」


「(大東流)佐川(幸義)先生の実際の指導、あくまで佐川先生がとっていた公的立場は、3に対応した玄人が修練により身につけるテクニック=技術職人の世界」( by塩坂洋一)


超能力者ではない私も武術に3を追い求める立場だ^ ^

ノーギの後はI師匠と練習。

崩しについていくつかのポイントの指導を受ける。相手が崩れを認識できない、またその方向が重要となる。
前回、できなかった術理についても指導を受ける。
これら術理、身体操作の中でやってはいけない大原則があって、日常の慣れた身体操作とは異なる。

ほかに、「意」「気」「心」や「六合」などの意味や効果も教えていただいた。

武術とは深遠な学問だとあらためて感じた次第。

柔術も最近、原始的なあるポイントに気づいて、骨組みを組み立て直している。武術を登山に喩えるなら、一合目さえ到達していない。私なんぞ大海の水辺に戯れる子供のようなものなのだ(笑)。

ただ、方向性は定まっているので、迷わず歩める、スピードはともかくとしてね(^^;。

「法を得たら修行に専念」(by松田隆智)




写真は九星会サイトより借用。


空手宇城憲治師範の著書。おそらく師範の初の著作。大東流佐川師範「透明な力」と並び繰り返し読んでボロボロになっている。買い換えないのはノートのように本に書き込んであるからだ。当時、感じたことや考えたことなどを読み返すのもおもしろい。

また読み返す。

「相手に入る」。以前はまったくわからなかった。糸口がちょっぴり見えたかも。

宇城憲治
2016-09-29




勝負することより、毎日同じ練習、ルーティンで生活することが辛いと語っていた白鵬。この偉大な記録はそれら日々の積み重ね。独特な文化の相撲界は日本人でも生活していくには大変だろう。モンゴルから裸一貫でやってきたやせっぽちな少年は大横綱に成長し、不祥事から大低迷し閑古鳥の鳴いていた大相撲を一人で支え続けた。

こんな男がほかにいるだろうか。

あまりにあまりに偉大なる白鵬。


PS.白鵬にはモンゴル人のままでも国民栄誉賞にふさわしいのではないか。そして親方株もモンゴル人のまま特例で与えたらどうか。大相撲界が外国人不可とするならそもそもお相撲さんとして使ってはダメだろう。バイトとしては使うけど器量があるのに社長になれないなんて話が変だよ。日本人が彼らに感謝を表すべきではないか。


粋な計らいを希望する。

術理に失敗したところで、無理に勝とうとしては術理修得の妨げとなる。無理になんとかしようとせず失敗したら負けておく。

I師匠の教え。

ただ勝ち負けを競うだけならガムシャラでもなんでも勝てばいい。でも、術理を学ぶなら理に従うべきだろう。

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