バーリトゥード日記

バーリトゥード日記

ジェントルアーツ名古屋ブラジリアン柔術クラブ(NBJC)代表早川正城の日記です。
(題字:一ノ瀬芳翠)

カテゴリ : 書籍

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真空跳び膝蹴りで一世を風靡した沢村忠。100連続KOの記録を持つ。そのほとんどが作った試合であり徐々にブームは去っていく。

本書はプロモーター野口修を主題にしているが、私の興味は沢村忠だ。

ムエタイの王者で当時のタイ人コーチは「サームラは本当に強かった」と証言。

その昔、圧倒的強さを誇った大相撲横綱千代の富士も数々の力士から「八百長疑惑」を投げかけられたが、強さは角界一であり、そこに疑問を持つものはいなかった。


「サームラはイイヒト。あんなにイイヒトはいない。『何か困ったことはないか』と、いつも気遣ってくれた。優しい男だった。 イイヒトだったから、俺は負けた。それだけのことだ。
最初は指示されたこともあったけど、そのうちなくなった。 事前に試合のリハーサルをしたことは一度もない。本当だ。試合中にサームラが『ヒザ』を出す。ヒザが出たら終わり。結果は自分に任されていた。 
ただ、これだけは言っておく。サームラは本当に強かった。キックもヒザもヒジも上手かった。パンチも本物だ。そのうち、教えることがなくなった。これも本当だ。 
サームラとフジワラ(藤原敏男)はどっちが強いかって? それは、フジワラだ。フジワラはタフ。
でも、もしサームラがバンコクに住んで、練習したら、サームラだ。二人の間にそんなに差はない。サームラがチャンピオンになった可能性もあったんだ」 (by ラジャダムナン王者スウィット・ソワン・ポーン)

ほか、黒崎健時、中村忠、大沢昇ら極真空手とムエタイの伝説の対抗戦も紹介。

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「猪木に関心を持つ多くの人々が「ペールワンとは犧任皸梁腓蔽豊甅犧廼の虎瓩箸いΠ嫐であり、モハメッド・アリでさえもらっていないイスラムの偉大なる称号だ」などという作り話を信じているようだが、ペールワン(現地読みでパヘルワーン)とは、単にレスラーという意味だ。強かろうが弱かろうが、レスリングをする人間はすべてパヘルワーンなのだ」(「1976年のアントニオ猪木」)



「「ペールワン」というのはイスラム世界で「最強の男」を意味する称号であり、アクラムは20年間無敗を誇るレスラーだという。ルー・テーズに勝っているとも聞かされた。
〜中略〜
俺はその日、パキスタン国王から正式に最強の男を意味する「ペールワン」の称号を授かった。イスラムの言語では「イノキ」は、どうも非常に発音しにくいらしく、俺は「アノキ・ペールワン」の名で呼ばれることになった」(「世界闘魂秘録」)



「モハメッド・アリやパク・ソンナンとの試合では、自分からリアルファイトを仕掛けた猪木が、今度は仕掛けられる側に回った。 
因果応報である。 
新間の目に、猪木の脚は少し震えているように見えた。 
だが結局、猪木は3度目のリアルファイトを戦う決心を固める。 「プロレスをするつもりでやってきている人間が、たった10分やそこらで気持ちを完全に切り替えて、命のやりとりに向かった。これは凄いことですよ。震えるなんて当たり前。アントニオ猪木は確かにプロレスラーですが、戦う気持ち、ファイティングスピリットを持っていたんです」」(「1976年のアントニオ猪木」)

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読み比べるとおもしろい二冊。猪木は超一流のプロレスラーであり、語り手でもあるのだ。



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先日、ある温泉街を訪ねたが人の少なさに愕然とした。夜の7時なのに街を歩く人をほぼ見なかった。お店の大半が閉まっていた。まるでゴーストタウン。


これもコロナの影響なのだろう。


将来、私たちがコロナを克服した時、これらのお店や施設は残っているのだろうか。


その時、もし、飲食店や観光施設がなかったとしたら。日本人は風情の一つを失うことになる。


もちろん、これは観光地に限ったことではない。コロナ禍の前に多くの産業がダメージを受けている。


いまや連日、コロナ感染者数で報道は過熱。バカ騒ぎとも感じる。


そもそも感染者数の元になっているのがPCR検査である。


その信憑性について警鐘を鳴らす一冊。ポイントは二点。


1、PCR検査の精度は?
2、コロナ死亡者数は?PCR検査陽性判定されると交通事故で死んでもコロナ死亡者とされる。


もしかしたら、この騒動の真の姿は、コロナ禍ではなく、PCR検査禍なのかもしれない。


この本はドイツの例であるが、どの国も似たようなものだろう。


がん闘病中に医師から言われた言葉。
「病気にビビッとってはいかん。といって舐めてもいかん」


まさに。世相はただビビってるように見えなくもない。










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「特にイメージできなかったのはフルマラソンに匹敵する距離を猖萋走る瓩箸いΔ海函なぜなら、フルマラソンの翌日にはいつも、僕の足は筋肉痛などで使い物にならなくなっていたからだ。人間ってそもそもそんなに走れるのか? そんな疑問を解決すべく経験者などにリサーチした結果、「鍛錬すれば走れるようになる。そのためにはとにかく長い距離を走る経験が大事である」というシンプルすぎる結論を得た」

今宵のお供はこれ^ ^

PS.自分では絶対にやらないが、この手の本は大好きなのだ(笑)。


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「だけど、僕はPRIDEに出ることが新日本のためにならないと内心は思ってました。だってプロレスラーがリアルな実力測定の場に出てきたら身ぐるみ剥がされちゃうわけじゃないですか。藤田和之みたいに勝って実力を証明できればいいですけど、永田裕志やケンドー・カシンもそうだし、PRIDEには出なかったけど中西学もそう。その挑戦にロマンはすごくあったし、プロレスラーとしての色気も感じたんですけどね。でも、PRIDEで彼らが勝ったところで新日本には生かせないですよ。なぜならPRIDEと新日本ではやっていることが違いますからね。だから僕は自分でやらせておきながら、一方で「なんでPRIDEに出てくるのかな?」って不思議な気持ちも抱いてましたね」(by元DSE代表、榊原信行)

「物語を作っていきながら感情を移入するタイプだから。あくまで煽りVをつくるために何があったのか紐解いていく。自分の仕事としては、あくまでもこのカードをどう煽るかってことがいちばん大事で、そこに俺の強い思いはなかったですよね。
そこはファッションというか、チャラかったんですよ。チャラかったから、よかったのかなと。そこで本気で思い入れを持って・・・だと、客観性がなくなってしまうかもしれない。
そこは距離感ですよ。御大を例に取り上げるのはどうかと思うけど、なんちゃってエコロジーみたいな作品をつくってる頃の宮崎駿って最高じゃないですか。「風の谷のナウシカ」とか面白いし、ふわっと力抜いて「となりのトトロ」とかも。でも、ガチで自分のやりたいことをやる「風立ちぬ」は重い、重すぎる。庵野秀明が「エヴァンゲリヲンQ」で袋小路に入って、その直後の「シン・ゴジラ」で爆発したのと一緒ですよ。一歩引きながら行き来しないと面白く煽れないですよね」(by佐藤大輔)

虚実ない交ぜなプロレスラーのコメントより、裏方の話が抜群におもしろかった^ ^


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中国の文化など

「中国の北方人と南方人の気質の違いというものに原因があるようでした。よく中国では「北方人は単純でさっぱりしていて、南方人は陰険だ」などと言いますが、私に言わせればこれは全く逆です。日本のように豊かな自然に恵まれている中国の南方の人達は、「あの人はあの人で決して悪い人ではないんだよ」などと、まるで日本人のように曖昧でのんきな甘い考え方をするのですが、自然に恵まれず、乾燥して砂漠のようなまるで中東やロシアのように過酷な環境で育つ中国の北方の人達は、考え方がとにかくドライでシビアで、何事も暴力で解決しようとする」


「中国には、北方人と南方人の問題だけでなく、他にも色々な問題が存在していました。私の知る限りでは、安徽人・河南人が差別される問題、北京人と上海人、広東人と福建人が不仲であると云う問題、チベット・内モンゴル・ウイグル等の少数民族に対する差別問題、沿海部と内陸部の経済格差問題、急激な経済発展に伴う環境破壊問題などです」

「中国国内の北方人と南方人で仲良く出来ない中国人達と、我々日本人が仲良くするのは、かなり困難なのではないでしょうか」

「日本のような島国国家と、中国のような大陸国家・多民族国家では環境が違い過ぎていて、文化も人のモノの考え方もちがうのです。 例えば、私は子供の頃、食事の時には、両親から必ず「食べ物を育ててくれたり、作ってくれた人に感謝して食べろ」と言われて育ったのですが、中国の親は自分の子供に、「まず一口味見して、食べ物が腐っていないか、毒が盛られていないか、確かめろ」と言って育てるそうです」

「中国人と、ドイツ人は友達だけど日本人は友達ではない。なぜなら日本人はドイツ人のように反省してないからだ」

「外食する時に日本人とばれると砒素を盛られる事が有ると聞いていたので、たまにお店の人に「あんた、どこの国の人」などと訊かれた時などは、「オレは朝鮮人だ。平壌から来た」と答える事にしていました。とにかく中国は国土が広い国なので、自分から「日本人だ」と名乗らなければ、私が広東人なのか、ウイグル人なのか、モンゴル人なのか、韓国人なのか、台湾人なのか、全く分からないのです」

「北京の公安は本当に恐いのです。違法に営業している露天商の屋台を平気で蹴飛ばして破壊したりする」

「「じゃあ、各地の弟子を集結させれば革命が起こせますね」と言いました。この時も公安関係者が何人も来ていて、私達はなんとも気まずい雰囲気になってしまいました。どうやら中華人民共和国では「革命」と云う言葉はタブーのようです」

「北京人は、文革の話になるとすごく盛り上がるんですよ。何といっても毛沢東主席のお膝元でしたからね。中国には今もなお、文革中バトルロワイヤルのような事をやった人殺し達が大勢生きています。日本人は、もっと慎重に中国と関わった方がよいのではないでしょうか」

「ちなみに道場では、同じ広東省出身者でも広州の人と潮州の人では言葉が違っていて通じないので、北京語で会話をしているのです」

「道理で日本の著名な空手家に、朝鮮半島系の人が多いはずです。もう本当に根性が違い過ぎるのです。只、蔡熙培に言わせると「韓国人は何事も一時期猛烈に熱中するが、すぐに放棄する。それに比べて中国人は、ちんたらちんたら練習して、しかも上達もしないのに、とにかく諦めないで続ける。やっぱり中国人は、たいしたもんだ」

「それと論語の学而篇の「朋有り遠方より来たる亦た楽しからずや」この章句の解釈が、中国人も日本人も韓国人も間違えている、らしいのです。この章句の本当の意味は『例えどんなに優れた学問であっても、自分から人に勧めてはいけない。向こうから来るまで待て』だと云うのです」


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意拳とは

「意拳・大成拳は、過激な若者達が練習するヤクザ拳法」

 姚承荣

「藤井、お前にこれが何の為の練習か教えてやるから好きなように打ち込んで来い!」と言うなり開掌で構えました。その眼光の鋭さは、まるで龍のようです。しかたなく、私が牽制の上段回しゲリをけろうとした刹那、私の顔面に姚先生の直拳が五、六発叩き込まれました」

「私の両腕を分挂発力で開くと必殺の頭突きを私の治りかけていたタンコブの上にブチかましました。たぶん姚先生は私が遅刻して来た事が、気に入らなかったのでしょう。あの頃の姚先生は今よりもはるかに厳しかったのです」

「姚承荣先生は他流派の人と何百回と試合をして、一度も負けた事がないそうです。私はこれは真実だと思います。姚先生の本当のガチンコの試合を私は三回位しか見た事が無いのですが、ガチンコの試合では、姚先生がDVDの中で弟子を相手にやっている散手とは、もうスピードが違い過ぎるのです。とにかく猫科動物のように速いのです」

▼寸勁について

「寸勁とは相手に接近して、連打するショートレンジパンチの事だ。動く相手の胸に拳を当ててられるか、相手だって逃げるんだぞ!」

▼空勁について

「「もしそういう技が有るとしたら、オレには出来ない。たぶん王薌齋先生は出来ただろう」と答えました。劉さんは、納得のいかないような顔をして「王薌齋先生一体、どうやってたのかな?」と呟きました。そこで私が姚先生に「王薌齋先生どうやってたの」と思い切って質問すると姚先生は、「藤井空勁ってのはな、高速歩法を使って相手に見えないぐらいの速さで接近して、且つ相手が触れられたのを感じないぐらいの速さで発力してふっ飛ばすんだ。相手に触れないで飛ばすのは物理的に不可能だ」」

 姚氏意拳第三代伝人、姚宗勲老師の孫、姚悦

「姚悦は姚宗勲老師の孫で姚氏意拳第三代伝人になるべき人間だから、まあ仕方が無いのでしょうが、とにかく新しく入って来る学生を滅茶苦茶にやっつけるのです。一人も姚悦と推手、散手を練習しようとする人間はいません。当時、姚悦は二十歳ぐらいだったのですが流石に姚承荣先生のスパルタ教育を受けていただけ有り、その功夫はかなりのものでした。とにかく、構えが崩れないのです。私は姚悦が石家荘から来た無礼な形意拳家を、斜め下からの張り手一発でKOしたのを目撃した事が有ります。当時、姚悦の体重は70kg位だったのですがその迫力たるや、まるで相撲の旭道山関の張り手を見るようでした。姚悦は常々私に「もっと思いっきりぶん殴りたい。もっと思いっきりふっ飛ばしたい」と言っていたものです。どうやらあれでもかなり力を抑えていたようです」

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「姚先生は「藤井、丹田を開くにはな、毎日基本功を徹底的に練習して、それによって実戦の時、如何なる情況下に在っても、何の恐れも感じず普段の練習通りに動けて、且つ相手を一撃で倒せるようになった時、その時こそ丹田が開いた時だ」

「世の中方法が無くても方法は有る」

「姚先生曰く「藤井、お前の動作は完了していない。動作は必ず完了させろ。きちんと拳を握り込め!」これは私がシャドートレーニングをしていた時に、よく言われた言葉です。姚先生は、とにかくボクシングの左ジャブのような動作を嫌うのです。たとえ、どんなに短い距離のパンチでも整体力を具えていなければ相手に作用しないらしいのです。又相手に恐怖感を与える事も出来ないのでフェイントにもならないそうです。それを指摘されてから、私が動作の完了を意識しながらシャドートレーニングをしていると、姚先生が近づいて来て、めずらしく腕を組みながら熱心に私の動作を見ています。私は姚先生が誉めてくれるのかと期待していたのですが、「你什都会了(ニイ・シャンマ・ドォウー・ホウイ・ラ)、功夫不行(ゴン・フー・ブウ・シィン)。お前は何でも出来るようになった。だけど功夫はだめだ!」と吐きすてました。   だったらどうしたら功夫が強くなるのかを教えてくれればいいのに。自分で悟れという事なのですかね。そして私の「意拳に秘伝は有るのですか」という大変不躾な質問に対しては「下功夫(シアコンフー)・下功夫(シアコンフー)・下功夫(シアコンフー)」と答えてくれました。要するに努力して努力して努しろ、というわけです」

「お前は飯食ったり寝る時間は有るのに、練習する時間はねえのか」

「外省から出て来たばかりの若者が、姚先生に「あんた、マイク・タイソンに勝てんのか」と質問しました。姚先生は「オレは生まれてから一度も自分が負ける事を考えた事はねえ。相手はオレの獲物だ。強ければ強いほど嬉しくなる」」

「オレがお前らの前で動いて見せていると云う事は、お前らに全てを教えているって事だ。これだけやって見せてるのに出来るようにならないお前らは大バカなんだ!」

「オレがお前らにギャーギャー喧しく言うのはな、お前らが他流派のやつらに殺されずにすむ為だ!」

▼達人・李日炯(イイルヒョン) 

「蔡熙培が特に熱く語っていて私も興味を覚えたのは、彼の蟷螂拳の師匠・李日炯先生の話です。この李日炯先生は、李徳江先生の弟子で、李徳江門下では最強だったそうです。1960年代にソウル市内で一人で100人以上のヤクザを蟷螂手(たぶん手首の親指側の部位)でやっつけたり、砂の入ったサンドバッグを蟷螂拳の鴛鴦脚(えんおうきゃく)と云う技で天井まで蹴り上げて爆発させたり、公園で日本剣道の練習をする韓国警察の機動隊員達を棒切れ一本でなぎ倒したり、子供の頃ソウルの関帝廟で「オレは必ず関雲長のような強い男になる」と誓ったりした事。そしてケンカ三昧の日々を送り、或る朝、目が醒めたら、何故か全く恐怖感というものを感じなくなり、その時から丹田が開いたらしく、もの凄い力が出てもの凄い速さで体が勝手に反応出来るようになり、ちょっと手で触れただけで相手がふっ飛ぶようになったと云う事など、李日炯先生の話は、何度聞いても飽きませんでした」

「李徳江先生は私に「この土間の上を歩いてみろ」と言いました。言われた通りに歩いてみると、私は一瞬バランスを崩し目眩を感じました。と同時に「これだ!これなんだ!!! 今までオレにはこの感覚が足りなかったんだ! これで意拳の謎が解けるぞ! 今までの一文にもならない努力が報われるぞ! ざまあみろ!」と心の中でそっと叫びました。   私の真の意拳の練習は、この時から始まったのです。この日以来、私の站椿、試力、摩擦歩、拳法、腿法全ての感覚が変わりました。   後は今までに、姚承荣先生から習った技をこの感覚を維持しながら練り直せばいいのです。私の本当の意拳修行が今始まったのです。   人が見なくても花は咲くのです」

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