バーリトゥード日記

バーリトゥード日記

ジェントルアーツ名古屋ブラジリアン柔術クラブ(NBJC)代表早川正城の日記です。
(題字:一ノ瀬芳翠)

カテゴリ : 書籍

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「【中国拳法は力より技を重視する】


中国拳法は力を増す鍛練よりも、力をいかにして巧みに運用するかという練習法に重点をおいている。


力はないよりもあるに越したことはないが、あまり力の鍛練に偏重すると、のちには力に頼った技が先走るようになり、最後は拳法の行き詰まりをたどることになる。


これというのは、力の強弱と体格の大小は相関関係にあるゆえ、体の小さい人は体の大きい人に比べると力が劣ることが多い。たとえ訓練によって、ある程度力の強化が図れたにせよ力の増強には限界がある。


それに体格の大小は先天的な要素が大きく関連しているので、この体格の大小と力の強弱のハンディキャップ(不利な条件)を力の鍛練で乗り越えるのは、困難なことである。まして力は時(年)がたつにつれて、衰えて行くので、力に頼った技も、これにしたがって効力を失い、拳法の行きづまりが生じるのである。


力が有限であるのに比べて、技は無限であり時間が経つにしたがい、力の衰えるのに対し技は段々と磨きがかかる。よってこの技の学習と研究を続けることこそ、体格の大小による力の強弱やリーチの長短のハンディーキャップを補うことのできるもっともよい方法であろう。


【体の小さい者が大きい者と戦うには】


体の大きい者、すなわち手足の長い相手と戦う場合は、長距離戦(問合が広い)よりも、接近戦をおこなった方が得策であるのは周知の通りである。


長距離戦では、自分の攻撃はリーチ(手の長さ)が短いため、相手に届かず、相手の長いリーチの攻撃を一方的に受けることになるのできわめて不利である。


だが、接近戦になれば、自分の攻撃も相手に届くようになり、しかも間合の狭まった接近戦では手足の長い方よりも短い方が、小きざみに動きやすい利点がある。手足の長い方はその長さが災いして動きが思うようにとれなくなる。


戦いは遠距離から接近戦へと順次におこなわれるので、接近戦の利点を生かすにはまず、遠距離戦をかわして接近戦に持ち込む研究をするべきである。


【相手の動きを事前に知るには】


接近戦に入り込むにはまず相手の攻撃より自分自身の安全を守ることである。それには相手の動きに対してすばやく反応を示すことも大切であるが、相手の動き(攻撃)をいかに前もって読み取り、さらに相手の動きを封じ込むことがもっとも肝要である。


相手の動きに対する反応は、個人の反射神経や経験によるところが多いので、研究の対象から外し、相手の動きを前もって読み取り、封じ込める二点に集中して考える。


相手の動きを読み取るというのは、相手の動きの意図をいちはやく見破り、そしてそれに対応すべき措置を整え、攻防に有利な体勢を確保することである。


たとえば、相手の踏み込みで、相手の攻撃の時機を知ることができる。そして相手が攻撃する標的も自分の構え方で相手の攻撃法を概ね知ることができる。


これというのは、相手の攻撃は自分に向けておこなわれるので、その攻撃の目標はたいてい自分の構えの隙である。


相手の攻撃する場所=自分の構えの隙を知ることによって、相手の攻撃する方法も前もって知ることができ、自分に有利な攻撃を展開することができる。


また、自分の構えに打ち込まれる隙が小さい、あるいはない場合、相手があえて攻撃を加えるのであれば、相手は攻撃の邪魔になる自分の構えを崩すことから着手することになるので、相手の構えの崩れ方で攻撃のパターンを予見することができる。


これによって相手の攻撃の隙をついて逆襲することも可能であるなど、より効果的な攻防をくり広げることができるのである。

相手の攻撃を予見できることによって、相手の攻撃の出ばなを挫き、そして攻撃を封じ込むことが可能になる。


たとえば、自分の手を相手の中心線に向けて構えたとする。攻撃する相手にとって、自分の構えの手は攻撃の邪魔になるだけでなく、相手の中心線上にある、鼻・のど・みぞおちなどの急所をねらいつけているため、相手は攻撃するにはまず、中心線が制圧されている脅威を取り除くことが先決になるので、相手の攻防は一歩遅れることになるばかりでなく、相手の攻撃する勢いははずされる。


このようにして自分は相手の攻撃を未然に封じ込めることができると共に、攻防の主導権を握ることになる。


【有利な体勢を確保するには】


自分の攻防に有利な体勢を確保するには、相手の長いリーチの攻撃をかわして、接近戦に持って行くのであるが、その方法は相手の攻撃を担う手を殺すことである。(足は体を支えるなどの役目があるので説明の便宜上はぶく)


つまり、自分の手(片手又は両手)を相手の手(片手又は両手)に粘りっこくくっつけ、纏わり付くことにより、相手の後退・防御の動きを牽制し、攻撃を阻止することができるのである。


こうしてより安全に相手に接近することができるのである。


【力の弱い者が強い者と戦うには】


力の強い相手と戦う場合には、やはり遠距離戦は不利である。というのは力は動くことによって加速度的に威力を増し、勢いつくものである。


その勢いづいた攻撃をくい止めるのは容易なことではない。そして相手との距離を遠く保つことは相手に動く距離・範囲を広く与えることであるので、相手の動く空間を狭めることができれば、相手の力を未発のうちに封じ込めたり、流す、消す、もしくは削り減らすことが可能になる。


また、相手との距離を狭めることは、相手が空間内での変化を少なくすることにもなる。


相手との空間(距離)を狭めることによって、いく点かの利益を得ることができるが、相手との空間を狭めるにあたり、もっとも重要なポイントは交叉である。


つまり力を発揮するには、その媒介となる手足の動きが必要であるが、自分の手足を相手の手足に交叉させることによって、相手の手足の動きによる力の発揮をくい止め、相手の攻防の変化を防げるのである。


自分よりリーチ・力の優る体の大きい相手との戦いは、交叉法を活用した接近戦を使うことによって、そのハンディーキャップを補うことができる最も良い方法である。


それに交叉法を認識、活用することによってはじめて、中国拳法の特長である円運動が有効となり、攻防一体の動きを可能にさせ、小をもって大を制することができるようになる」


【打ち込める隙間とは】


打ち込める隙間とは、打ち込められる隙間や空間である。つまり相手が守っていない所や守りの弱い所である。


たとえば構えの低い人の場合は頭部であり、構えの高い人の場合は腹部などである。


構え中段でも手と手の間や、上下・左右など守りきれぬ所はみな隙間である。相手の隙間を見つけることで、先制攻撃を仕掛けられる。これによって相手を遅らせ、先手を取ることができる。またこれにより新たな隙間を導くことも可能になる。


【動ける隙間とは】


動ける隙間とは、動けるための隙間や空間である。動くには空間が必要なのは周知の通りである。さがる・避ける・打つ・受けるなどは共に空間がなければできない。


さがる・避けるには後と左右の空間が必要である。これと同様に打つ・受けるにも前の空間が必要である。これは壁の前に立って試すとよくわかることである。壁と体の空間をなくすと(壁と体が密着する)打つことも受けることもできない。


組手の時、相手を攻撃してもなかなか意にかなえることができないのは、相手は攻撃に応じて動くからである。このため相手の動きをいかにして止めるかは、組手の重要な課題である。


これはいかにして相手の動く空間を狭め、なくすことかである。ここでは、さがる・避けるための後の空間は、説明の便宜上研究の対象からはずし、打つ・受けるに必要な前の空間を分析して行こう。


前の空間、いいかえれば勢力範囲や縄張りである。静止した構えを具体的な例にすると、構えの両手と体との間は前の空間であり、自分の勢力範囲・縄張りである。そして両手はその警戒線(境界線)となる。


前の空間を広く持つことにより、勢力範囲は広くなり、警戒線も前方に広がり、ふところの奥行きが深くなる。こうすれば相手の攻撃に対し、いち早くしゃ断することができ、自分をより安全にする。


また警戒線(両手)が前方に位置しているから、相手に近い拳掌はよりすばやく、正確な攻撃を可能にし、たえず相手の脅威となる。


中国拳法では寸勤といって、手を後ろに引いて弾みをつけて打たなくとも、相手にごく近い距離から打っても、相手を倒す打法があるし、またあまり引いて打つ打法はない(あまり引いて打つと攻撃目標に当てにくい)ので、両手を前に出しておいても何ら不利とならない。


反対に前の空間が狭いと、警戒線も狭まり、相手の手が目前に迫り出し、自分の動きを妨げ、攻防を困難にする。いわゆる打たれる隙間を小さくし、動く隙間を大きくする」

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「SNSで出回っている言葉があまりにも無防備で、ナイフがびゅんびゅん飛び回っている状態」

「炎上や誹謗中傷のような、わかりやすい批判の言葉も、もちろんそのナイフのひとつなのですが。普通に正しいことを言っている顔をした言葉のなかにもまた、ものすごく危険なナイフを振り回しているように見える言葉が、たくさんあります。

たとえ言っていることが正しくても、言い方がものすごく強くて、激しい言葉は、やっぱり扱いが難しいものです。劇薬すぎる」

「もちろん自分がナイフを使っている自覚も必要ですが、それと同時に、他人のナイフから自分を守ることのほうがよっぽど重要だと思うんですよね。
やっていきましょう。自分と他人の言葉をわけるんです。

そして自分の身を守りましょう。言葉はけっこう、危険なものです」



「自分が傷つかないのはもちろん、相手も必要以上に傷つけない」

これをジェントルアーツと呼ぶ、ヒクソングレイシーの言葉に感動して始めた柔術。

言葉も同じく柔術、ジェントルアーツでありたいね^ ^

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「秘伝日本柔術」より

「昭和初年、惣角のすすめにより札幌市円山に大東流合気柔術指南の道場を開く。この頃に北大ラクビー部の者で、後に日東化学(釧路)工務部長となった飯田毅氏が、当時柔道部の選手と道場破りの意気込みで、佐川師範の道場に押しかけたが、逆に佐川師範よりさんざんな目に合わせられた思い出を、日東化学厚生会機関紙『こころ』(昭和三十一年六月五日号)でつぎのようにのべている。

「(前略)筆者が佐川先生の門に入ったのは北大の学生の時であるが、当時の北大予科は柔道の全盛時代で、筆者が予科三年の時には全国高専大会に優勝し強豪が揃っていた。

小生は柔道はせずラグビーの選手であったが、運動部並びに家の関係で柔道部の選手と親しく、その連中とも一緒に佐川先生の所に行ったが、柔道の猛者達も素人の小生と全く同じで、合気にかかっては赤子のように操られひねられてしまう。

剣にしても同様、剣道の高段者がきさら踊りをさせられ、昔宮本武蔵が塚原ト伝に鍋の蓋で太刀を押えられて、身動きできないのを実地に見るようであった。

講道館の三船十段が「押さば廻れ」は柔道の極意であるとかいわれ、又空気投を得意とされているが、あのようなことは合気の理の一部で、合気には空気投以上の絶妙の技が無数にあることは、先程の六法(歌舞伎の勧進帳にて弁慶が六法を踏み、両手を開いて舞い進み、敵を前後左右へ投げる所作)の例の如きでも理解できよう。

只、学ぶ順序として、逆手から入ることが多いので、大東流又は合気というと逆技専門と思う人が多く(小生も入問当時はさように考えた)また、当身だとかあるいは投技だとかと判ったような顔をする者があるが、いずれも群盲巨象を撫でる類で、合気の行理は過に幽玄なものである。(後略)」

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「ライオン、虎、ヒョウと戦わば」

「人間対ライオン、虎の戦いは、食われた記録として残っているだけである」

「ライオンと人間の個体差は、ちょうど横綱と中学生くらいであろう」

「ラクダでさえ人間の頭を噛みくだくのだ」

「たった一つ試してみたい奇襲作戦がある。それは・・・・・・」



子どもの頃、地上最強はマス大山だった。なんの疑問も抱かなかった^ ^

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「塩田先生は晩年、「合気道とは天地自然と一体になることだ」とおっしゃるようになりました。そして「植芝先生は神だの宇宙だのわけのわからないことばっかり言ってたけど、ようやくその裏付けが取れてきた」ともおっしゃったのです。

私が若い頃の塩田先生は、強い呼吸力を発揮する激しく厳しい技ばかりで、こちらが受けを取るのも必死でした。しかし年齢を重ねるにつれて、相手の力を消したり、抜いたりという技が身につき、まったくの自然体で自由自在に相手を崩すようになりました。

以前は技の強さによって逆らえなかったのが、次第にふわっとしているけれども逆らえない技に変わってきたのです。相手の力を全部自分のものにするのだと先生は言うのです。そういった高い技術を習得されたときに、気が付いたら植芝先生のおっしやっていた「天地自然と一体になる」という境地が、理屈ではなく、実感として自分のものになったのでしょう。

そして、私自身も六十歳を超えた頃から、相手の力を消してしまう技が身についきました。

それを今私は「抜き」と呼んでいますが、その技術に熟達するにつれ、まさにどこにも無理がなく、自然体そのものから技が自由自在に生れてくるようになりました。

そこには相手と争うような気持ちはこれっぽっちも必要ありません。自然体ということの本当の意味がわかってきたのです。そうしたら、合気道がますます楽しくなってきました。

塩田先生は、剣術家・鬼一法眼の「対すれば相和す」という言葉を、合気道の技の極意であり精神的理念の象徴として、常に私たちに説いていましたが、私にもようやくその言葉が、なるほどなあと実感を持てるようになってきました」

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「ヴラディミアもまた特殊部隊の教官だったということだが、こちらの詳細は不明だ。気さくになんでも話すミカエルに対し、軍での経験についてヴラディミアは沈黙を守る。よほど話したくないか、話せない事情があるのだろう。夫人のヴァレリーさんやヴラディミアの母でさえ、何も聞いたことがないとのこと」

「ミカエルは「人間の髪や肉が燃える臭いは、忘れられるものではない」と語る」

「ミカエルは退役してからの数年間、眠れないほどのPTSDに悩まされたという」

「笑い話にできるのは、結果的にうまくいって多くの人が助かったからだ。もちろん、笑い話にできないエピソードもたくさんある」



「いつどこに地雷が埋まり、スナイパーに狙われているかわからない。そういう状況でサバイブしようとすると、自然にそういう感覚が目覚めるんだ」



「「とにかく愛情をもって育てるべきだ」そして「恐怖心を利用して教育をするな」」

「人に教えることで、学びのプロセスは完成する」

「システマは巨大な本のようなものだ。私が読めるのもそのほんの一部でしかない。インスラクターたちもそれぞれ異なるページを読んでいる。だから自分が読んだページにどんなことが書いてあったのかを他の人に伝える必要がある」



「(ブラジリアン柔術を)それでも続ければなんとかなるだろうとクラスに通ったが、一向に上達する気配が感じられない。では他の人はどうしているのだろうと探ってみると、実にシンプルなことがわかった。

練習量が段違いなのである。週に3回、4回は当たり前。ほぼ毎日練習している人も少なくない。週2回程度ではむしろ少ないほうだといえる。柔術で上達できる人は練習量が多い。実に単純だけど揺るがない真実だ。

一般的な武術では週2回がせいぜいで、月に2回ということも珍しくはない。型稽古で自主練できるからという理由もあるが、主な理由は指導者が本業の片手間であるということ、公営の体育館などを借りているという環境面の理由が大きいと思う」

「そもそも武術家に比べてスポーツのほうが愛好家も研究者も母数が多いうえに、才能ある人たちで溢れている」

「僕は現実世界で本当にスゴい人はビジネスシーンにいると思っている。何千人という従業員とその家族の生活を守って決断を下すなど、並大抵の胆力ではないビジネスシーンには、そういう極度のストレスの中で丁々
発止の戦いを繰り広げる人たちがひしめいているのだ」



「システマでは寝てリラックスしきった状態から、一切強張りを作らないように注意しつつ、丁寧に立ち上がる練習がある。立ち上がるという動作の過程で、どれだけの緊張が生じるかを自覚するのが主な狙い」

「筋肉の強張りとは、恐怖心のエネルギーが凝固したものである」と。
だからそれが放出される時、溜め込んでいた恐怖心が一気に噴出することになる。だからこそ、血の気が引いて全身がガタガタえるという、あたかも恐怖に直面した時のような反応が身体に起きているのだ。心地よいだけがリラックスではない。人が奥底にしまい込んでいた恐怖心を手放す時、苦しみが伴う」

「なぜ痛みを用いるのか?
それは、本人にその緊張を捨てることを選択させるためだ」

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「大人には大人の勉強法がある」


「脳は、生涯にわたって成長し続け、死ぬまで未完成」


「脳の神経細胞は年齢とともに減少していきますが、神経細胞同士をつなぐネットワークは年齢に関係なく成長」


「大人になっても記憶力が衰えることはなく、変わったのは、記憶するための脳のシステム」



「高校生くらいまでの自分と大人になってからでは、脳の働き方がガラリと変わってしまっている。学生時代の勉強法をなぞるように勉強をしても、効果は得られません」


「大人になると、子どもの頃より思考系や理解系が発達しているので、記憶するよりも前に疑問が湧いてきて、意味を理解してから記憶するという「意味記憶」が優勢となる」


「何かを覚えたいときは、「覚えよう」と思うより「理解しよう」と頭を働かせるのが正解」



「大人脳で効率的に勉強するには、一つの脳番地に頼るような方法ではダメで、脳番地のトップ3「思考系・理解系・記憶系」を巻き込みながら、さまざまな脳番地を一気に働かせることが重要」


「英文法に限らず、条例でも法令でも化学式でも、どの場面にこの知識を活かすのが適切か理解系脳番地を働かせ、理解しながら学ぶのが正解」


「「なるほど、そういうことだったのか!」という瞬間こそが理解系脳番地が働いているときであり、脳が活性化しているタイミング」



「すべてを加齢のせいにして学ぶことを諦めたり、他人とコミュニケーションをとることを面倒に感じたり、新しいことを始めるのに億劫がっていたりすると、このネットワークが鈍化していきます」


「せっかく頭がよくなる30~50代という絶好の機会に、脳をおじさん化させないことが何より大切」



「好きなことばかりやりたがるけど、飽きっぽく、ご褒美が用意されているとわかると頑張れる。これが脳の本質的な性格で誰にでも共通している」


「忘れてはいけないのは、ワクワクとした前向きな感情で勉強に向かうことであって、勉強そのものを好きになる必要はない、ということ」


「体験をベースとした理解は、エピソード記憶に理解を上乗せするような形で、長期記憶として保管されます」


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「「論破」を目的とせず「敬意」を払うことで、意味のある対話が可能になる」


破壊を目的としないジェントルアーツの理念と同じと共感する。


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「重要なのは「改革に抵抗してくる敵」は「そういう側面」を思い出させてくれているのだ、と気づくことで」「「抵抗勢力の機能」をちゃんと尊重すれば、「進めていく改革」が細部まで配慮の行き届いたものになる」


反対意見は自身の考えの盲点に気づかせてくれる。




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「たったひとつのことを心がければ、美しい所作で食事ができる。そのたったひとつのことが、「箸や器を大切にする」。これだけです。器を大切にするとは、丁寧に扱うこと」



武術格闘技を通じて「型」から入る大切さを感じている。外型の所作を整えることで内型の「心」も整えられるのではないだろうか。



「立ち居振る舞いが整えば、自然と心も整う。心が穏やかであれば、言葉にやさしさや思いやりがにじみ出てくるものです」



「所作が美しい人ほど、その所作は「さりげない」」

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「やっぱり自分の分からないことをどんどん、イチから潰していく。

自分が何を分かっていないのかが分からないという人もいるけど、それはイチから潰していっていないからですよ。簡単です。

自分がどうしていいか分からないポジション、たとえば寝技だったら、ここを取られたらどうやって抜けるのかとか、ここを取るにはどうやって取るのかとか、それだけ。

単純なことがみんな分からない。それを動きごとに潰していけばいい」

「それは人に聞かないとダメ。そうしないとたぶん自分の分からないところは分からないものです。聞くことが一番大事」

GONG格闘技 2024年7月号
アプリスタイル
2024-05-23


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