バーリトゥード日記

バーリトゥード日記

ジェントルアーツ名古屋ブラジリアン柔術クラブ(NBJC)代表早川正城の日記です。
(題字:一ノ瀬芳翠)

カテゴリ : 書籍

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ネット番組「ReHacQ」に出てきては酔っ払いながらも鋭い指摘が気になっていた編集者箕輪厚介のコラム。


下世話かつ遠慮のない中にこそ真実が垣間見えるのだ(笑)



「世界はグローバルとローカルと大きく分かれている」


「人間は「全体性」への欲望を持っているのだそうだ。

ここで言う「全体性」というのは、「分業」との対立概念で、「物事や出来事の全体像を把握していること」を指す。

同じ仕事をこなす場合でも、ただ言われるがままに指示された作業を続ける人よりも、全体像を把握した上で作業をする人のほうが、満足度が高く、より大きな達成感が得られる」


「社会が進むと分業化も進む。「分業」こそが資本主義社会の肝であり、人類の発展における最大級のイノベーションである」


「しかし、その分業化は人間を作業ロボットのようにしてしまう。

その作業は社会に置いてどれほど価値があるものなのかわからなくなる」


「分業化が進むと一人ひとりが全体性を獲得することは難しくなる。すると人間は自分が世界に存在しているという実感や承認欲求がみたされない」


「大きな物語の一部になることで人間は全体性を感じる」


「たとえば、ある不祥事タレントを一斉に叩いて引退に追い込もうという物話の一員となりSNSで誹謗中傷を繰り返す。そのとき、たしかに自分は世界の一員なんだと実感できる。

全体性を失った個人の受け皿。これは推し活や選挙が加熱する理由だ」


「政治や選挙について、著名人がSNS上でほんの一言でも意見を述べると、意見の異なる人々から暴言や誹謗中傷を含む理不尽な攻撃を浴びる」


「大型選挙のたびに、マスコミは決まって「国民の政治離れ」や投票率の低下を嘆く。

だが、少なくともSNSの世界に限って言えば、政治や選挙ほど人々の関心を集めるテーマは他にない」


「日々の仕事で全体性を感じられないタイプの人が政治という物語の一員となって承認欲求を満たしているのだろう」


「政治も、当然、トンマナ(トーンとマナー)の設計が重要になってくる。大衆にアピールするためには、極端にわかりやすいワンフレーズを繰り返したり、ダンスを踊ったり、歌を歌ったりと、政策以前のパフォーマンスに寄せていかざるを得なくなる」


「政治には、体感としては偏差値30くらいでも伝わる設計が求められている。バカに合わせて世界観が設計されていく。笑えないが、これが今の社会の基本だ」


「今の時代、体制側に見られると厳しい。社会が貧しくなり、SNSで「バカと暇人」が増えると、「持っている側」はそれだけで批判の対象になる。

大衆の熱狂を掴むためには「持たざる者」だという演出が不可々だ」


「物事は善と悪では語れない。

ある現象というのは社会の写し鏡であり、それをダメなものと切り捨てるのは、社会の実態から目を逸らしているだけなのだ」


「何よりもLUUPは乗っている人間以外に何の得もない。LUUP利用者の快適さは、ほかの人間の我慢を前提として成り立っている。

そのくせに、サービスの見せ方や広報の振る舞いが鼻につくから、めちゃくちゃ嫌われている。まさにトンマナの失敗例だ」


「家系ラーメン「箕輪家」を開いてからもう3年が過ぎた。

2025年になってやっと毎月利益が出る店になったが、まだ1円も報酬をとったことはないから、ビジネスというよりは純粋にやりたくてやっている事業だ。


やってみてわかった。飲食業は楽しいのだろう。利益率は全然高くないが、目の前でお客さんが自分の作ったラーメンを夢中ですすり、最後に「美味かった」と言ってくれる。

いわゆる全体性を感じるものだ。」


「わざわざ批判的なことを書きにくる人間は、どうしようもなく「バカで暇人」なのだ」


「「おじさん独り占め産業」は、女性を取り込むことで単純計算で需要が2倍になる。男性がメインターゲットと言われているラーメン店経営にとってはデカいビジネスチャンスだ」


「インフルエンサーと称される僕が言うのはおかしいかもしれないが、結局、商売でもっとも重要なのは「接客」だ」


「つぶれない店を作る秘訣は、「店長が、毎日、自分の店のラーメンを食べること」だそうだ。これも仕事の本質だと思う」


「総合格闘技イベント「PRIDE」にも夢中になった。こういう企画に関わりたくて、運営会社のドリームステージェンターテインメントに「入れてください」と手紙を書いたこともある。PRIDEの煽り映像で有名な佐藤大輔氏の映像制作集団「佐藤映像」にも。どちらも採用していないと断られてしまったが。そういえば、「紙プロ』にも入れないかとアクションを起こしたこともあった」


「僕がサブカルに嫌われる4つの理由

  • 「今話題の人に乗っかる」姿勢
  • すべて商売にしてしまう
  • 「酒癖が悪い」と思われている
  • サブカルの文脈の理解が雑」


「金もない、地位もない、実績もない。そういう人ほど、「ルール違反ですよね」と言うのが大好きだ。誰でも知っているルールを持ち出して、安全圏から石を投げて、勝った気になれるからだ。

でも、そういう人たちは例外なく、お金も稼げないし、新しい発想も生み出せない。

なぜなら、ルールを疑うことができないからだ。何かを生み出す人間は、「このルールって本当に必要か?」とか、「時代遅れじゃないか?」と考えるところからスタートする。ルールを絶対視せず、素材として扱う。だからこそ、そこから議論が生まれ、アイデアが膨らむ」


「あと最近のSNSで本気で苦手なのが、散々自分の主張を繰り広げておいて、最後に保険みたいに「知らんけど」と付け足す人間だ。だったら最初から言うなよ、と毎

回思う。言いたいことは全部言う。でも責任は一切負いません、という姿勢。あれは慎重さじゃなくて、ただの逃げだ。そういう人に限って、少しでも突っ込まれると急に黙る。

卑怯というより、単純に臆病で、見ていて恥ずかしい」


「今の社会は、SNSが影響力を持ちすぎた結果、「毎日誰かを生贄にするリンチショー」が常態化してしまっている。

そして、そのリンチの「旗振り役」をやっているのが、「週刊文春』や『FLASH』といった週刊誌だ」


「格差が当たり前になった社会で、現状に満足していない人たちが、日々の鬱憤を晴らす対象を探している。楽しそうに見えるやつ、調子に乗って見えるやつしたとえば、編集者として好き勝手やっている僕なんかは、格好の標的なんだろう。その感情自体は、人間だから理解できなくもない。

でも、その怨念を意図的に帰って、拡大させて、金に換える。

週刊誌がやっているのは、そういう商売だ。そこには、どうしようもない下品さがある」


「大丈夫。100年後には全員死んでる」


「だから、好きにやればいい」




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話を聞いてもらう技術?!





「「聞く技術」が役に立つのは平時であって、本当に深刻な問題が生じて、「聞く」が試されているときには、小手先では歯が立たない。

「聞く」が不全に陥るとき、実際のところ、僕らは聞かなきゃいけないと思っているし、聞こうとも思っています。

それなのに、心がまり、耳が塞がれてしまって、聞くことができなくなる。自分ではどうしようもできなくなってしまう。

これこそが、問題の核心です。

ならばどうしたらいいか?」

「「聞いてもらう」からはじめよう。

あなたが話を聞けないのは、あなたの話を聞いてもらっていないからです。

心が追い詰められ、脅かされているときには、僕らは人の話を聞けません

ですから、聞いてもらう必要がある。

話を聞けなくなっているのには事情があること、耳を塞ぎたくなるだけのさまざまな経緯があったこと、あなたにはあなたのストーリーがあったこと。

そういうことを聞いてもらえたときにのみ、僕らの心に他者のストーリーを置いておくためのスペースが生まれます。

「聞く」の回復とはそういうことです。

「聞く」は「聞いてもらう」に支えられています。

したがって、「聞く技術」は「聞いてもらう技術」によって補われなくてはなりません」


「いま僕らが必要としているのは、強みではなく、弱みを、カッコいいところではなく、情けないところをわかってもらうための技術です。

ですから、要点をまとめて、ロジカルに、わかりやすく話す必要はありません。苦しんでいることについては、人はうまく話せないものだからです。

必要なのは賢い頭ではなく、戸惑う心です。

混乱した心が漏れ出すと、まわりは心配して、「なにかあった?」と聞いてくれます。そうなってしまえばしめたもの。あとはまとまりのない話を、時間をかけて聞いてもらえばいい。

ですから、「聞いてもらう技術」とは「心配される技術」にほかなりません。

まわりに「聞かなくちゃ」と思わせる。
このとき変化するのは、自分ではなく、まわりです。環境を変質させるのが「聞いてもらう技術」の本質です」

「二つの体が近くにあって、ぼんやりとした曖味な状況に置かれている。そういうときに、普段は言葉にならないようなことを口が勝手にしゃべりだし、耳は自動的に言葉を受け入れてしまいます。体が勝手にコミュニケーションを始めるということです。

気まずい時間にしばし耐えて、あなたの体を他人の体と一緒に置いておきましょう。一見無駄に見える時間の積み重ねが、人と人とを仲良くさせてくれます。

そう思うと、これらは友達を作るための技術でもありますね。

聞いてもらう技術とは、日常の中で赤の他人を軽い友人に変える技術なのだと言えそうです」

「実を言えば、「聞いてもらう技術」の本質は、何かが起きて、苦境に陥ったときに、「ちょっと聞いて」とまわりに言うことです。本当はそれがすべて。

だけど、これが難しいんですね。

精神科医の松本俊彦さんの編んだ『「助けて」が言えない』という本がありますが、ほんとうに助けがほしいときほど、僕らは「助けて」と言えなくなります。

ですから、「聞いてもらう技術」緊急事態編は、「ちょっと聞いて」と言葉で言わずとも、まわりのほうから「なにかあった?」と聞いてもらうための技術です」



さて、「聞いてもらうため」の「小手先」の手口とは

【日常編】
1、隣の席に座ろう
2、トイレは一緒に
3 、一緒に帰ろう
4、ZOOMで最後まで残ろう
5 、たき火を囲もう
6 、単純作業を一緒にしよう
7、悪口を言ってみよう

【緊急事態編】
8、早めにまわりに言っておこう
9 、ワケありげな顔をしよう
10、トイレに頻繁に行こう
11、薬を飲み、健康診断の話をしよう
12、黒いマスクをしてみよう
13、遅刻して、締切を破ろう


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人間は気分の生き物であり、気分の良い時、悪い時がある。気分が良ければ許せることも、悪い時には許せない。



ケア→手当て
セラピー→自立

一般的なケアやセラピーが役立つ状況を晴れの日、それらが機能しない状態を雨の日と呼び。

晴れの日にはわかることも、雨の日はわからなくなってしまう。

相手の「わからない」をまずは、

「きく」→「考える」→「わかる」

雨の日を紐解く三つのポジション
1、意識、無意識(精神分析上)
2、つながる、断
3、妄想、日常



「わからない」をわかった上で刻々と変化する状況、状態に対処していく。

なんかさ、まるで柔術。きくは「聴勁」。

ジェントルアーツは
1、ボディドライブ(構造、テコ)
2、イリュージョンアクト(認知、錯覚)
の二本立て

認知面の柔術さ^_^

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【「80歳の壁」を超えるなんて恐ろしい】

「僕にとって80歳まで生きることは、今一番のリスクです。70歳で死んでもいい、60歳でもやむなしです。 80歳まで生きるほうがよほど怖いのです。

医者が言うことではないと思うのでしょう、こう話すとよく「えっ、なぜ?」と訊かれます。

なぜか。

答えるとすれば、僕は知っているからです。長生きした結果、どういう人生があるかということを一たくさんの高齢者を見てきて、今の自分の記憶力などを考えると、80歳くらいになったらかなりまずい状態だろうとわかるのです。
だから、80歳まで生きるわけにはいかないなと思う」

「たとえ生きていたとしても、認知症になったら自分のやりたいこともできない。身体も動かない。
「80歳超えて元気な人もいっぱいいますよ」と言う人は多いです。もちろんそういう方もいますが、少数派です。多くの「元気じゃない」高齢者は施設か病院にいるから目に入らないだけ。一度みなさん、施設にいる高齢者を見てみればいいと思います」

「最初は家族が訪ねて来るけれど、週1回が一週おきくらい、だんだん月に1回になり、そのうちたいてい来なくなる。でもその頃にはもう本人は、家族の顔もわからなくなっているわけです。一日中ぼーっとしているだけで、はたして幸せでしょうか」

「長生きする日数の長さではなく、いつ死んでも悔いがない生き方ができているかこそ、肝心なのではないかと思います」



【家族への「ありがとう」が終末期の逆転ホームラン】

「とても大事にされ、「このおばあちゃん、どうしてこんなに人気があるのかなぁ」と思う方が時々います。こういうおばあちゃんを見ていると、「いいんだよ、いいんだよ。それで間違ってないよ」と絶対に怒らない。「今のあなたでいいんだよ」と言ってくれる、自分を認めてくれるおばあちゃん。孫にもひ孫にも、もちろん子どもにもめちゃめちゃ愛されますよね。
応援して、ほめてあげて、認めてあげられる人。こういう人は人気があるし、もちろんお金を持っているかどうかなんて関係なく人が
集まってきます。

逆に社会的地位のある人に多いのは、「なんで俺の言う通りにしない」と子ども、孫にまで言うので、お金がなくなったら誰も寄ってきません。

人は一人ひとり違います。違う人間なのだから違うに決まっているのです。部下と上司はもちろん、親子、兄弟姉妹だって近いけれど全員違う。家族なのに「違う、違う」とケンカしたり、すったもんだ離婚したりしている。違う人なんだから違うに決まっています。
エラい人ほどそれを忘れて、「自分と同じ考えじゃないとダメ」になってしまっている。そしてひとりぼっちになって死んでいくのです」



【いい生き方とは、人生の長さではありません】

「人が死んでいくとき、自分の人生を家族や友人、誰かと一緒に振り返れば、みんな「いい人生だった」と言います。50歳でも、10歳でも、言います。

両親が「パパとママの子に生まれてきてくれてありがとうね」っていっぱい伝えていれば、4歳の子どもでも言います。「僕はパパとママの子どもに生まれてきてよかった」と」



【人は病気で死ぬのではありません。老化で死ぬのです】

「病気は老化の段階に名前をつけているだけで、治らないし、治療すれば死なずに済むわけではありません。病気にやられたわけでもない。誰もが老化して弱って死ぬのです。

それを認められれば、人は穏やかに逝ける。認められなければ、老化の治療にチャレンジして敗れる。死は「敗北」となってしまうのです」

▼▼▼

三度のがんを経験した私は著者の治療方針には賛同しかねるが、その死生観には共感できる^_^

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身体を細かく鍛える。それで懐かしい本を古本で取り寄せた^ ^

人体の構造は投げる動作に適している。当然、柔術もそのように組み立てている。例えば、上腕二頭筋(力こぶ)が張る時はいいムーブではないと考える。

柔術の基本は、1、呼吸、2、ベース(姿勢)、3、コネクション。ベースはバランス&筋力。

ムーブ最優先でベースをアシストする筋肉を鍛える。

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「何を探っているのか、何を隠しているのか......。警戒してたんですけど、4回あたりで『おっ、これは何もできないんだな』と確信しました。表情で分かるんですよ。焦ってきているとか、やりたいことがやれないというのは」

「自分が距離で外すから得意の左のロングが打てない。こっちがあれだけ速いバックステップで外すと、向こうは空振りが怖いんです。このレベルになると必ずリターンを返されますから。だから自分から打っていけない。打てないとガード一辺倒になってボクシングが単純になる」

「前の手と、後ろ重心と、左を当てさせない距離、ポジション。それがドンピシャにはまったかなと思います」


「井上選手に距離を取られて、完全に把握されている状態ですよ。そのまま前に行けば、カウンターを取られるのは目に見えています。「なんで、行かないのか」と言う人もいますが、行きたくても、行けないんです。それくらい、怖いんだから」(岩佐亮佑)

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「そしていま、人間が得た力は、もはや人間の学中から離れようとしている。人間にしかできないと思われていたことが、ことごとく破壊されていくのを目の当たりにしながら、ハラリの問いがいま、改めて投げかけられている。僕たちはなぜ働き、経済活動をこなしているのだろう。経済の発展は人々が遺かになっていく過程だったはずだが、少なくとも僕は、テクノロジーの進化や未来にはワクワクする一方で、活力が満たされ切らない自分と直面する日々が続いていた。

それはおそらく、テクノロジーの進化の恩恵を多分に受けながら、頭と手ばかりを使うだけで済むことが増えていき、気づかぬうちに全身を使えていない日常に陥って
いるからじゃないか。だから取り憑かれたように、奪われつつある本来の身体性を取り戻そうとするかのように、ときに山に入ったり、自然の中を歩いたり、あるいは毎日のように多摩川の河川敷を歩いているんじゃないだろうか。

AIであれモビリティであれ、そんな僕個人の危機感などお構いなしに目まぐるしく進化し続けるだろうし、いつだってテクノロジーはその時代の人類のあり方を決めてきたこともわかっている。しかし同時に、その反動や揺り戻しがどこから起きるのかが僕の関心事になった。

そして、テクノロジーや経済の未来は、いよいよこの視点、つまり人間の身体性という視点を抜きにしては語れない時代に突入していくんじゃないか、と直感するようになった。

人間の幸せは、動物として快調かどうかにかかっている。その生きた心地というものは本来、身体感覚と密接に関わっている。それをあまりにも置き去りにした、身体性を奪ってゆくばかりの社会システムは長くは続かず、やがて綻びが生まれ、辻褄が合わなくなると思うからだ。

第一、人間の生き物としての設計は、少なくとも20万年は変わっていない。ハーバード大学の医学准教授ジョン・J・レイティが指摘するように、狩猟採集時代から、人体は特段のアップデートはなされていないのだ。

だからこそ、テクノロジーの進化とパラレルに、まるでコインの裏と表のように、身体性をいかに取り戻すかが、もう一つの大きなイシューになっていくんじゃないか」





「人間の幸せは、動物として快調かどうかにかかっている」

「身体性を取り戻す」

私たちが柔術をする要因の一つだろうね^ ^♪

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業界的にキラーワードの「合気」(笑)。

ところで「合気」とはなにか?

私は「合気」の使い手の「合気」受けたことがないので、「透明な力」などの佐川伝からヒントを読み解くに過ぎない。

「合気」の定義を著者は

「相手のバランスを、接触面を通して様々な技術でエネルギーを与えて崩し、それにより相手が我を頼ることになり、結果的にコントロールが可能となる」

としている。

筋力&梃子を利用した柔術。骨、靭帯、腱に作用させる術理、肩の操作、頭の重心位置など様々な切り口は参考になったし、楽しく読ませてもらった。

ところで新陰流「龍の口」だと、「なぜ合気になるのか」。そこの説明が欲しかったよね。

触れるだけで作用するのが「合気」とするなら様々なガチ勢と手合わせできるはずだが、いかがだろうか。



PS.「触れ合気」岡本正剛先生に手を取ってもらったことがあった^ ^;

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「間合いと角度のワーク」

「人と人との距離や角度は、物理的なものと心理的なものの二つがあります。

心理的なものは物理的なものに影響を受け、実際の距離とイメージする距離は違うものであるということ。

それらはいくらでもコントロール可能であり、それこそが武術そのものであるということ」(by山城美智)



待望の山城先生の新刊。上梓おめでとうございます。じっくり勉強させていただきます^ ^

PS.振込みで取り寄せた。送料200円を忘れ、追加で送金。200円の振込み手数料270円也(笑)。

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「【中国拳法は力より技を重視する】


中国拳法は力を増す鍛練よりも、力をいかにして巧みに運用するかという練習法に重点をおいている。


力はないよりもあるに越したことはないが、あまり力の鍛練に偏重すると、のちには力に頼った技が先走るようになり、最後は拳法の行き詰まりをたどることになる。


これというのは、力の強弱と体格の大小は相関関係にあるゆえ、体の小さい人は体の大きい人に比べると力が劣ることが多い。たとえ訓練によって、ある程度力の強化が図れたにせよ力の増強には限界がある。


それに体格の大小は先天的な要素が大きく関連しているので、この体格の大小と力の強弱のハンディキャップ(不利な条件)を力の鍛練で乗り越えるのは、困難なことである。まして力は時(年)がたつにつれて、衰えて行くので、力に頼った技も、これにしたがって効力を失い、拳法の行きづまりが生じるのである。


力が有限であるのに比べて、技は無限であり時間が経つにしたがい、力の衰えるのに対し技は段々と磨きがかかる。よってこの技の学習と研究を続けることこそ、体格の大小による力の強弱やリーチの長短のハンディーキャップを補うことのできるもっともよい方法であろう。


【体の小さい者が大きい者と戦うには】


体の大きい者、すなわち手足の長い相手と戦う場合は、長距離戦(問合が広い)よりも、接近戦をおこなった方が得策であるのは周知の通りである。


長距離戦では、自分の攻撃はリーチ(手の長さ)が短いため、相手に届かず、相手の長いリーチの攻撃を一方的に受けることになるのできわめて不利である。


だが、接近戦になれば、自分の攻撃も相手に届くようになり、しかも間合の狭まった接近戦では手足の長い方よりも短い方が、小きざみに動きやすい利点がある。手足の長い方はその長さが災いして動きが思うようにとれなくなる。


戦いは遠距離から接近戦へと順次におこなわれるので、接近戦の利点を生かすにはまず、遠距離戦をかわして接近戦に持ち込む研究をするべきである。


【相手の動きを事前に知るには】


接近戦に入り込むにはまず相手の攻撃より自分自身の安全を守ることである。それには相手の動きに対してすばやく反応を示すことも大切であるが、相手の動き(攻撃)をいかに前もって読み取り、さらに相手の動きを封じ込むことがもっとも肝要である。


相手の動きに対する反応は、個人の反射神経や経験によるところが多いので、研究の対象から外し、相手の動きを前もって読み取り、封じ込める二点に集中して考える。


相手の動きを読み取るというのは、相手の動きの意図をいちはやく見破り、そしてそれに対応すべき措置を整え、攻防に有利な体勢を確保することである。


たとえば、相手の踏み込みで、相手の攻撃の時機を知ることができる。そして相手が攻撃する標的も自分の構え方で相手の攻撃法を概ね知ることができる。


これというのは、相手の攻撃は自分に向けておこなわれるので、その攻撃の目標はたいてい自分の構えの隙である。


相手の攻撃する場所=自分の構えの隙を知ることによって、相手の攻撃する方法も前もって知ることができ、自分に有利な攻撃を展開することができる。


また、自分の構えに打ち込まれる隙が小さい、あるいはない場合、相手があえて攻撃を加えるのであれば、相手は攻撃の邪魔になる自分の構えを崩すことから着手することになるので、相手の構えの崩れ方で攻撃のパターンを予見することができる。


これによって相手の攻撃の隙をついて逆襲することも可能であるなど、より効果的な攻防をくり広げることができるのである。

相手の攻撃を予見できることによって、相手の攻撃の出ばなを挫き、そして攻撃を封じ込むことが可能になる。


たとえば、自分の手を相手の中心線に向けて構えたとする。攻撃する相手にとって、自分の構えの手は攻撃の邪魔になるだけでなく、相手の中心線上にある、鼻・のど・みぞおちなどの急所をねらいつけているため、相手は攻撃するにはまず、中心線が制圧されている脅威を取り除くことが先決になるので、相手の攻防は一歩遅れることになるばかりでなく、相手の攻撃する勢いははずされる。


このようにして自分は相手の攻撃を未然に封じ込めることができると共に、攻防の主導権を握ることになる。


【有利な体勢を確保するには】


自分の攻防に有利な体勢を確保するには、相手の長いリーチの攻撃をかわして、接近戦に持って行くのであるが、その方法は相手の攻撃を担う手を殺すことである。(足は体を支えるなどの役目があるので説明の便宜上はぶく)


つまり、自分の手(片手又は両手)を相手の手(片手又は両手)に粘りっこくくっつけ、纏わり付くことにより、相手の後退・防御の動きを牽制し、攻撃を阻止することができるのである。


こうしてより安全に相手に接近することができるのである。


【力の弱い者が強い者と戦うには】


力の強い相手と戦う場合には、やはり遠距離戦は不利である。というのは力は動くことによって加速度的に威力を増し、勢いつくものである。


その勢いづいた攻撃をくい止めるのは容易なことではない。そして相手との距離を遠く保つことは相手に動く距離・範囲を広く与えることであるので、相手の動く空間を狭めることができれば、相手の力を未発のうちに封じ込めたり、流す、消す、もしくは削り減らすことが可能になる。


また、相手との距離を狭めることは、相手が空間内での変化を少なくすることにもなる。


相手との空間(距離)を狭めることによって、いく点かの利益を得ることができるが、相手との空間を狭めるにあたり、もっとも重要なポイントは交叉である。


つまり力を発揮するには、その媒介となる手足の動きが必要であるが、自分の手足を相手の手足に交叉させることによって、相手の手足の動きによる力の発揮をくい止め、相手の攻防の変化を防げるのである。


自分よりリーチ・力の優る体の大きい相手との戦いは、交叉法を活用した接近戦を使うことによって、そのハンディーキャップを補うことができる最も良い方法である。


それに交叉法を認識、活用することによってはじめて、中国拳法の特長である円運動が有効となり、攻防一体の動きを可能にさせ、小をもって大を制することができるようになる」


【打ち込める隙間とは】


打ち込める隙間とは、打ち込められる隙間や空間である。つまり相手が守っていない所や守りの弱い所である。


たとえば構えの低い人の場合は頭部であり、構えの高い人の場合は腹部などである。


構え中段でも手と手の間や、上下・左右など守りきれぬ所はみな隙間である。相手の隙間を見つけることで、先制攻撃を仕掛けられる。これによって相手を遅らせ、先手を取ることができる。またこれにより新たな隙間を導くことも可能になる。


【動ける隙間とは】


動ける隙間とは、動けるための隙間や空間である。動くには空間が必要なのは周知の通りである。さがる・避ける・打つ・受けるなどは共に空間がなければできない。


さがる・避けるには後と左右の空間が必要である。これと同様に打つ・受けるにも前の空間が必要である。これは壁の前に立って試すとよくわかることである。壁と体の空間をなくすと(壁と体が密着する)打つことも受けることもできない。


組手の時、相手を攻撃してもなかなか意にかなえることができないのは、相手は攻撃に応じて動くからである。このため相手の動きをいかにして止めるかは、組手の重要な課題である。


これはいかにして相手の動く空間を狭め、なくすことかである。ここでは、さがる・避けるための後の空間は、説明の便宜上研究の対象からはずし、打つ・受けるに必要な前の空間を分析して行こう。


前の空間、いいかえれば勢力範囲や縄張りである。静止した構えを具体的な例にすると、構えの両手と体との間は前の空間であり、自分の勢力範囲・縄張りである。そして両手はその警戒線(境界線)となる。


前の空間を広く持つことにより、勢力範囲は広くなり、警戒線も前方に広がり、ふところの奥行きが深くなる。こうすれば相手の攻撃に対し、いち早くしゃ断することができ、自分をより安全にする。


また警戒線(両手)が前方に位置しているから、相手に近い拳掌はよりすばやく、正確な攻撃を可能にし、たえず相手の脅威となる。


中国拳法では寸勤といって、手を後ろに引いて弾みをつけて打たなくとも、相手にごく近い距離から打っても、相手を倒す打法があるし、またあまり引いて打つ打法はない(あまり引いて打つと攻撃目標に当てにくい)ので、両手を前に出しておいても何ら不利とならない。


反対に前の空間が狭いと、警戒線も狭まり、相手の手が目前に迫り出し、自分の動きを妨げ、攻防を困難にする。いわゆる打たれる隙間を小さくし、動く隙間を大きくする」

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