「結論から書きますと、武術は生き物ですので「流派門派ではなく、個人次第である」に尽きます。
生き物と表現したのは当人が望むように育つという意味で、もし最優先が中国的表現でいう健身、日本的表現でいう自己鍛錬や健康目的、あるいは伝統文化としての継承や自身の心の拠り所である場合は、当然ながらその目的通りの武術に育つ事は言うまでもありません」
「マイク・タイソン氏や井上尚弥選手が、もしボクシングにフィットネス目的で取り組んでいたならば、当然今日の彼らの姿はありません。
ボクシングという手段”が勝手に彼らを強くしたのではなく、強くなったのは彼らの身体能力や強靭な意志以外の何物でもありません。
(中略)ここでは流派門派が強い武術家を育てる訳ではないと強調する意図から書いている点はご理解ください」
「価値観に優劣や順位はありませんので、武術を学ぶ目的が「強くなる」でなくとも問題はありません」
「入門者が「強くなりたい」を目的とするならば、熱意のある者ほど生涯の時間を費やす事になりますので、練習を続ければ自ずと「強くなれる」と誤解させないよう、きちんと説明する必要があると考えています」
「個人的に望むのは曖昧さの徹底排除です。
曖昧さは善意に解釈すれば武術のロマンを生みますが、現実においては怪訝、眉唾......いわゆる胡散臭さとなります。
曖昧さの放置は「名門直系を長年学んだ自分は(弟子志願者から見たら、その先生は)弱いはずはない」といった勘違いや陶酔が生涯続く••••・という状況を生む」
「人生は後戻りできない。自分が多くの時間を費やし、信じてきた武術に対して現実はさておき…自己肯定するしかない......。その自己肯定と先人の伝説的エピソードを織り交ぜた謳い文句を鵜呑みにしてしまう(あるいは鵜呑みにしたい?)
入門希望者は、そこに時間とお金を使い続ける・・・・・という悪循環が起こります。それはシンプルに悲劇であり、『名人達人』という武術好きな人間たちの希求、渇望を見事に突いた歪みの連鎖を生み、武術独特の悪しき慣習をさらに野放しにする事になります」
「中国留学中には千名を超える武術関係者と接してきましたが、実際に強いと感じた武術家は十名くらいでしょうか」
〜実際に強い陳さん、周さんのエピソード披露後〜
「皆様の中には「陳さんの家
伝武術は凄い!それは一体、何という門派だろう?」と気になる方もおられるかと思います。しかし、ここはあえて失礼を承知で…その家伝武術はあくまで“ツール"であり、一人の人間として「強さ」を追求し、地道に功夫を積まれてきた陳さん個人が強かったにすぎないという点は、よくよくご理解いただきたいと思います」
「重要な事なので改めて書いておきますが、かつて武勇伝を誇り、名門といわれる門派の直系の修行者たちとは私自身少なからず接しており、また八極拳の修練者たちが散打選手との実験試合で簡単にKOされる場面も幾度となく見聞しており、この周さんの「強さ」は彼個人…西洋格闘技のボクシングに対しての造詣も深く、徹底して「強さ」を追求していたからこそだという点は何よりも強調しておきたいと思います」

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身も蓋もない話かもしれないが、柔術をやっているすべての人がヒクソンではないし、ボクサー全員が井上尚弥やタイソンではない。彼らの強さは「個人」が修練し続けた結果にすぎないのだ。
李書文や武田惣角、劉雲樵や植芝盛平、佐川幸義然り。
あまりに素晴らしい内容だったので買ってしまった(笑)。


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