IMG_3615

「昔の人は絞るとか逆をとるとかして、とにかく相手をウンと言わさないといかんことにしてました。立技で、例えば足払いなどで倒れてもそれだけでは負けたように思わなかった」

背中をつくと一本になるのはいつからなんでしょうね。

「当時、武徳会には段というものがなかった」

段や帯は講道館のオリジナル。先見性を感じる。

「大正八、九年から寝技に対する関心が高まりましたね。高専大会での四高の連勝を破るために六高が研究、工夫して関節技、絞技に鮮やかな連絡変化を見せるようになった」

「(第九回高専大会)試合中に六高がやった新しい膝関節技や足からみの形式で寝技に入る技が問題になって試合を中止して審議」

柔術も同じような歩み。まさに歴史は繰り返すか。

「高専大会の試合時間ははじめ、四将まで10分、三将15分、副将30分、大将無制限」

まさに死闘。

「生死の竿頭にたって如何に身を処すべきかという心構えを体得することだ」

心構えも納得。

「戦後は大衆ということを目標にして何でもかでも勝負をつけようとしてます。引分けなどというのは大衆がつまらんというからというのですかね。人間を練るというよりも興行価値の方が大切だという。せめて競技価値といってしかるべきでね。昔は同じ勝つにしても少しでも立派な技で勝てといったものです」

いまも競技と興行のバランスはテーマ。

「組む場合「軽く」ということもよくいわれた。「軽く」組めば相手の動きが指の感覚を通じて速やかに予知できる」「力まかせに組みつくなどというやり方は最も非合理的であるとして排撃された」

「「逃げる」のではなく「脱ける」といいなさい」「「逃げる」には命をかけた戦いの中の攻撃的精神が感じられない」「「脱ける」には反撃精神が包まれている」

「(岡野)先生の絞技は絞められている方は何の苦しみもなくあっという間に失神してしまう(頸動脈だけを上手に圧迫する)高級な技でした」「気持ちよく失神するため絞技による苦しみを感じることがない」

「当時の講道館柔道の足技表現の妙は、他流各派から驚嘆の眼で見られ大いに警戒されたもので、足技は講道館の主流をなしていたが、他流柔術家はその足技を避けるために自護体に構え寝技に引き込んだもの」「自護体で構えてくる相手に、講道館はさらに捨身技を研究した」

「相手が膝をつきまたは横に倒れて「ノコッタ」ときは寝技で攻撃するように指導」「ひとたび投技から寝技に変化したときは、どんなことがあっても相手を立たせない」「制しきるまで攻める」

「投技をかけ「ノコッタ」とき、崩袈裟固、横四方固に入り、相手の態勢に応じ、上四方固、崩上四方固に変化」「横四方に固め、相手がうつ伏せに逃げ」れば「送襟に変化」「相手の背中にのり、後方より制し」「送襟、片羽絞」「馬乗りになって縦四方」に変化。

抑え込みを基本とし、逃れる相手に絞技や関節。極め優先でポジションを従とするサブミッションレスリングと対照的。

おそらく将来のブラジリアン柔術もヨーロッパ柔道のような立技から寝技、即極めの流れになると予想する。

歴史を紐解くと、同じような課題や悩みに創意工夫で乗り越えていく知恵や工夫を感じる。やはりそこは人間なのだ。