「必要とあらばすぐに打てるよう常に心の準備をしておくべきだ。躊躇はない。必要なら打つとすでに決めているのだから。

「攻撃的になれ」「緊張していろ」という意味ではない。単に心の準備をしておくだけだ。

ある意味冷淡でなければならない。一筋縄では行きそうにない相手には「話し合いもできるが、打つべき理由があれば打つ」という覚悟を持つ。そうすると不思議なことに争いになりにくい。

体のぶつかり合いになったらそれで良い。受け入れることが安全への鍵となる。そして冷淡な態度を保ちながらも、あまり強く打ちすぎないように訓練するのが大切だ。相手をストップさせるために打つだけだ。それが相手を打つための最初の準備である。

相手を止める目的で打つ。不能にするまで打ってはならない。その気持ちは心に閉まっておく。 

口論の場でも同じだ。その最中でも戦う準備は常にしておく。

そういう状況が来たら受け入れるのだ。ぶつかり合いにならなければハッピーだ。

ファイトなどない方が良い。しかし心の準備はしておく。準備ができていればファイトを受け入れられる。受け入れることだ。

どんな時でも何があっても、いつでもファイトの準備ができているという自覚を持つことだ。ファイトになってもオーケーだ、と。 

心の準備ができていれば、色々なシナリオを基に芝居ができる。それ以上エスカレートしないように、おどけてみたり、怒りを表したり、謝ってみたり、何でもありだ。しかし内側ではファイトの準備をしておく。そういう決意を常に持っているべきだ。

決意できない人も中にはいる。武術の訓練を重ねているのだろうが、その決意がまだ固まっていないのだ。おそらくぶつかり合いの経験が乏しいのかもしれない。決意をすることに慎重になっている」(byロシア武術システマ、ウラジミール・ヴァシリエフ)

FullSizeRender

http://diary.nbjc.jp/archives/2106344.html