FullSizeRender

FullSizeRender

俳優の息子として生を受け、子役デビューして俳優として活躍。
FullSizeRender

13才から18才で渡米するまでウインチャンクンフーを学んだ。
FullSizeRender

アメリカでも俳優としての道を探りながら活動。脚本や武術指導を手掛け、 TVドラマの脇役などを務める。

FullSizeRender

その中で人種差別という大きな壁に立ち塞がれる。

リーの脚本、主演で進めていた作品も、土壇場で主演から外されてしまう。代役はアメリカ人俳優だった。

アジア人はハリウッドで主役になれない。

失意のうちに香港に帰国。

すると空港で大歓迎を受ける。アメリカで脇役として出演した TVシリーズ「グリーンホーネット」が香港で大ヒット、一大ブームを巻き起こしていた。

再び俳優としての扉が開いた。

「ドラゴン危機一髪」「ドラゴン怒りの鉄拳」「ドラゴンへの道」に主演し、立て続けに大ヒット。香港で大スターのポジションを獲得した。

そこへハリウッドから声がかかり待望の主演「燃えよドラゴン」へと至る。

「燃えよドラゴン」は世界中で大ヒット。ブルースリーは空前のブームとなった。

ところがリー本人は「燃えよドラゴン」世界公開一ヶ月前に急逝。32年の人生を駆け抜けた。

▼▼▼

リーは子役の頃から、人生の大半を役者として過ごし、どうやったらスクリーンに映えるのかを研究、熟知していた。それは武術や哲学のセルフプロデュースにも生かされた。

こうしてブルースリーはアジア人として初の世界的アクションスターとなった。当時はカースタントやガンファイトを抜きに成立しないと言われていたアクション映画を徒手空拳で成立させたのも業界初。

いまだブルースリーを超えるアクションスターはいないし、ハリウッドで主役を張れるアジア人俳優も存在しない。

まさにブルースリーの前にブルースリーなく、ブルースリーのあとにブルースリーはいない。

唯一無二の圧倒的存在なのだ。

▼▼▼

さて、いまや神格化されつつあるブルースリーだが、武術家としての評価は、世界最強レベルとは考えにくい。ウインチャンクンフーを6年修練したリーより高い技量の中国武術家はたくさんいるとみるのが妥当だろう。

実際、ブルースリーはアメリカ空手界の雄エドパーカーをはじめ、時の空手世界王者チャックノリスやジョールイスらに指導していたが、専ら映画アクション用の指導だったようだ。

FullSizeRender

ほかの著名人も同じ流れで、かなりの高額(一時間150ドル(いまの換算だと11万円位))でハリウッドセレブたちのパーソナルレッスンをしていた。当初はリーズナブルな料金設定(それでも一時間2万円弱)だったのを、ターゲットをハリウッドセレブに絞ったマーケティングを映画関係者からアドバイスされて変更したらしい。

FullSizeRender

いまもフィルムが残る国際大会でのデモンストレーションは、大会そのものがハリウッド映画業界へのプロモーションとして開催されたようだ。

とはいえ、武術家としての矜恃はスクリーン上の独特の間や間合いから感じることができる。

意外だったのはリーの師事したウインチャンクンフーのイップマン師範が喧嘩を奨励していたことだ(笑)。やんちゃだったのは間違いない。

▼▼▼

ウインチャンクンフーを6年学んだのちアメリカに渡り、様々な格闘技からヒントを得て、自らの流派ジークンドーを創設する。

そのスタイルは、

「ブルースリーはボクシングから優れたフットワークを、カンフーから蹴りを取り入れた。しかし、彼の技術融合で独特なのは、蹴りとボクシングの融合だけではなく主要な要素をフェンシングから取り入れている点だ」。

実兄がフェンシング香港代表になるほどの腕前であり、インスパイアされたものだろう。

「ジークンドーは「剣を持たないフェンシング」」

さきの国際大会でのデモンストレーションでのスパーリングにも見受けられる。


「頭を打つか目を突くかの選択に迫られたら、毎回目を選ぶ」

ブルースリーは映画の中で目を突いたりしていない。実際の格闘とエンターテインメントとしてのアクションの違いを示している。


▼▼▼

ブルースリーは映画俳優だったが、私たちの世代でブルースリーに影響を受けていない武術格闘家を探すのは世界中でも難しいだろう。

地味でエンターテインメント性低いマーシャルアーツを世に広げた功績は大きい。


ここでも唯一無二なのだ!!!

ブルース・リー伝
マシュー・ポリー