相手から自分へのあらゆる攻撃はストレスとなる。攻撃してくる相手をコントロールする柔術は、ストレスをコントロールしているとも言える。


先日のグラップリングツアーには強豪が集い競い合った。その攻防は見応えがあった。


一方、先々週ロシア武術システマセミナーで創始者ミカエル・リャブコ師範の「争わない」思想、術理はカルチャーショックだった。


争う、争わないは真逆だ。そして、矛盾する二つを柔術は消化できると確信にも至った。


柔術にはスポーツ競技としての側面と、ルーツである武術としての側面がある。


どちらが良い悪い、優れているではない。


柔術にはギ、ノーギもある。二つを楽しむだけだ。


同じくスポーツ競技として存分に競い合い。武術として争わない方向も学ぶ。


ここで「争わない」は「逃げ」ではない。「受け入れる」。この感覚が近い。


足関十段の技のキレは凄い、ミカエル師範の術理も凄い。


どちらの技量が上ということではない。技術を争う方に向けるか、争わない方に向けるのかの違いなんだろう。