毎日やっている練功に八極拳の套路がある。
用法は習っていないので、身体を練るために意味もわからずただただ繰り返して十年は経過している。
意味はわからないまでも繰り返しているとそれなりに気づいてくることがある。
なんでこんな動作なんだろう?
ふと狙いを感じることがある。私が使いこなせるわけではないが、とても危険な攻撃だと思う。
いまさらながら「武術」は「殺人術」だと感じる。少なくともケガさせようとしている。
八極拳創設当時の時代の要請で、他の武術も同様だろう。
振り返って現代に「殺人術」としての武術はどれほど必要なんだろうか?危険な技ばかりで試合もできるわけがない。
柔道や空手など「殺人術」としての危険な技術と引き換えに安全なスポーツとして普及した。
武術サイドにはこれを揶揄するむきもあるが、殺人術だけでは時代に残り続けられるとは考えにくいので、生き残る「知恵」とも取れなくもない。
私は「武術」を禁じ手なし、「格闘技」を禁じ手ありのスポーツ競技と区分していて、「武術」と「格闘技」を車の両輪とするのを理想としているが、両者に相当な隔たりがあるのも事実だろう。
先日、世界柔道で優勝した海老沼選手が決勝で相手選手の(柔道ルールでは反則のはずの)立ちからの脇固めで腕を負傷した。これも武術なら正しい選択となる。
でも、私を含め一般論として人がケガする瞬間など見たくない。
この試合を見て感じたことをダラダラと書き綴らせてもらった。