2024年10月
ジムナスティックナチュラルで機能的な身体を手に入れる^ ^
姿勢、バランスを強化し、しなやかなムーブを生む^ ^
言葉もジェントルアーツで^ ^

「SNSで出回っている言葉があまりにも無防備で、ナイフがびゅんびゅん飛び回っている状態」
「炎上や誹謗中傷のような、わかりやすい批判の言葉も、もちろんそのナイフのひとつなのですが。普通に正しいことを言っている顔をした言葉のなかにもまた、ものすごく危険なナイフを振り回しているように見える言葉が、たくさんあります。
たとえ言っていることが正しくても、言い方がものすごく強くて、激しい言葉は、やっぱり扱いが難しいものです。劇薬すぎる」
「もちろん自分がナイフを使っている自覚も必要ですが、それと同時に、他人のナイフから自分を守ることのほうがよっぽど重要だと思うんですよね。
やっていきましょう。自分と他人の言葉をわけるんです。
そして自分の身を守りましょう。言葉はけっこう、危険なものです」
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「自分が傷つかないのはもちろん、相手も必要以上に傷つけない」
これをジェントルアーツと呼ぶ、ヒクソングレイシーの言葉に感動して始めた柔術。
言葉も同じく柔術、ジェントルアーツでありたいね^ ^
ピラティスで整える
権力は腐敗する・・・ならば

「君主制は、支配者が一人であるため素早く政治的決断ができ、トップの王様が優秀であれば国家は素晴らしく発展していくというメリットがあるが、支配者である王様が権力におぼれて独裁者となった場合には、彼の独裁を止める構造がないため、国家はどうしようもなくボロボロになっていく。
貴族制は、支配者が複数であるため権力が分散され、独裁者が生まれるリスクが少ないというメリットがあるが、支配者である貴族たちが堕落した場合には、派閥争いや権力闘争に夢中になって肝心の政治をおろそかにしてしまうため、国家はどうしようもなくボロボロになっていく。
民主制は、みんなで国家を支配するため、うまくすれば一番公平な政治決断がなされるというメリットがあるが、支配者であるみんなが堕落した場合には、みんなが政治に無関心になって大衆感情やノリだけで政治決断(投票)をしてしまい、無責任な煽動政治家の言いなりになってしまうため、国家はどうしようもなくボロボロになっていく。
と、このようにアリストテレスは、政治体制には最良というものはなく、どれも堕落する可能性を秘めているのだとクールに考えたのである」(by「史上最強の哲学入門」
ベストを選択するより、消去法でチョイスしていくしかないってこと^ ^
「秘伝日本柔術」


「秘伝日本柔術」より
「昭和初年、惣角のすすめにより札幌市円山に大東流合気柔術指南の道場を開く。この頃に北大ラクビー部の者で、後に日東化学(釧路)工務部長となった飯田毅氏が、当時柔道部の選手と道場破りの意気込みで、佐川師範の道場に押しかけたが、逆に佐川師範よりさんざんな目に合わせられた思い出を、日東化学厚生会機関紙『こころ』(昭和三十一年六月五日号)でつぎのようにのべている。
「(前略)筆者が佐川先生の門に入ったのは北大の学生の時であるが、当時の北大予科は柔道の全盛時代で、筆者が予科三年の時には全国高専大会に優勝し強豪が揃っていた。
小生は柔道はせずラグビーの選手であったが、運動部並びに家の関係で柔道部の選手と親しく、その連中とも一緒に佐川先生の所に行ったが、柔道の猛者達も素人の小生と全く同じで、合気にかかっては赤子のように操られひねられてしまう。
剣にしても同様、剣道の高段者がきさら踊りをさせられ、昔宮本武蔵が塚原ト伝に鍋の蓋で太刀を押えられて、身動きできないのを実地に見るようであった。
講道館の三船十段が「押さば廻れ」は柔道の極意であるとかいわれ、又空気投を得意とされているが、あのようなことは合気の理の一部で、合気には空気投以上の絶妙の技が無数にあることは、先程の六法(歌舞伎の勧進帳にて弁慶が六法を踏み、両手を開いて舞い進み、敵を前後左右へ投げる所作)の例の如きでも理解できよう。
只、学ぶ順序として、逆手から入ることが多いので、大東流又は合気というと逆技専門と思う人が多く(小生も入問当時はさように考えた)また、当身だとかあるいは投技だとかと判ったような顔をする者があるが、いずれも群盲巨象を撫でる類で、合気の行理は過に幽玄なものである。(後略)」
「昭和初年、惣角のすすめにより札幌市円山に大東流合気柔術指南の道場を開く。この頃に北大ラクビー部の者で、後に日東化学(釧路)工務部長となった飯田毅氏が、当時柔道部の選手と道場破りの意気込みで、佐川師範の道場に押しかけたが、逆に佐川師範よりさんざんな目に合わせられた思い出を、日東化学厚生会機関紙『こころ』(昭和三十一年六月五日号)でつぎのようにのべている。
「(前略)筆者が佐川先生の門に入ったのは北大の学生の時であるが、当時の北大予科は柔道の全盛時代で、筆者が予科三年の時には全国高専大会に優勝し強豪が揃っていた。
小生は柔道はせずラグビーの選手であったが、運動部並びに家の関係で柔道部の選手と親しく、その連中とも一緒に佐川先生の所に行ったが、柔道の猛者達も素人の小生と全く同じで、合気にかかっては赤子のように操られひねられてしまう。
剣にしても同様、剣道の高段者がきさら踊りをさせられ、昔宮本武蔵が塚原ト伝に鍋の蓋で太刀を押えられて、身動きできないのを実地に見るようであった。
講道館の三船十段が「押さば廻れ」は柔道の極意であるとかいわれ、又空気投を得意とされているが、あのようなことは合気の理の一部で、合気には空気投以上の絶妙の技が無数にあることは、先程の六法(歌舞伎の勧進帳にて弁慶が六法を踏み、両手を開いて舞い進み、敵を前後左右へ投げる所作)の例の如きでも理解できよう。
只、学ぶ順序として、逆手から入ることが多いので、大東流又は合気というと逆技専門と思う人が多く(小生も入問当時はさように考えた)また、当身だとかあるいは投技だとかと判ったような顔をする者があるが、いずれも群盲巨象を撫でる類で、合気の行理は過に幽玄なものである。(後略)」
「大山カラテもし戦わば」
「できないことをできるようにしてあげるのが私の役目。できないことを恥じるな」(byエリオグレイシー)
「質問はありませんか?」
技の解説の終わりにパートナーたちに問いかける。質問は少ない、0もある。
「質問がまったくないのは、完璧に理解したか、なにも考えていないかどっちかだぞ(笑)」とは名古屋大学の先生。
もちろん私だって完璧には程遠いし、答えがわからないこともある。
システマでは参加者全員が意見や感想を述べ合うシェアリングタイムがある。
技をできないにしても、人それぞれできないポイントが異なる。私も見落としがあるし、それがヒントになったりしている。
「できないことをできるようにしてあげるのが私の役目。できないことを恥じるな」とはエリオグレイシー。
わからないこと、できないこともみんなでシェアして進んでいく。
そんな柔術でありたい。
技の解説の終わりにパートナーたちに問いかける。質問は少ない、0もある。
「質問がまったくないのは、完璧に理解したか、なにも考えていないかどっちかだぞ(笑)」とは名古屋大学の先生。
もちろん私だって完璧には程遠いし、答えがわからないこともある。
システマでは参加者全員が意見や感想を述べ合うシェアリングタイムがある。
技をできないにしても、人それぞれできないポイントが異なる。私も見落としがあるし、それがヒントになったりしている。
「できないことをできるようにしてあげるのが私の役目。できないことを恥じるな」とはエリオグレイシー。
わからないこと、できないこともみんなでシェアして進んでいく。
そんな柔術でありたい。
月曜日はタップしまくる
練度は伝わる、読み取れる
「あらゆるジャンルに貴賤はない。だが、ジャンルの中には厳然として貴賤が存在する」(by村松友視「私、プロレスの味方です」)
柔術家にも超一流がいれば、私のような超三流もいる。
そんな私だって、ジャンルが違ったとしても、練度は伝わるし読み取れる。
空気感、存在感って大切だよねー^ ^
柔術家にも超一流がいれば、私のような超三流もいる。
そんな私だって、ジャンルが違ったとしても、練度は伝わるし読み取れる。
空気感、存在感って大切だよねー^ ^