4b4cc15e.jpg某達人の新刊を立ち読み。私は某達人の大ファンなのだ。それでも近年の作品の一部には違和感を感じてしまう。

それは「気」の扱いについて。

私も「気」を感じる(※あくまで私にとっての「気」であり、達人や世間で言われる「気」と同じかどうかはわからない)。

だけど、「気」は見せることができないし、なにかで客観的に測定もできない。

そういったものを技術体系の中心軸に据えるのは、感じられない人にとっては妄信的にならざるを得ず、カルトに陥る危険性があるからだ。

そこでは子供が(「気」で?)数人の大人のスクラムを崩したりと具体的な現象が示されている。

もし子供にそんな力が備わっているとしたら、ぐずる子供を大人は誰も動かすことができないはずだが、実際はそんなことはない。

その現象を実現するのに「なんらかの前提条件が存在する」わけで、「気」を使えばそういうこともできますよという一つのパフォーマンスだと思うが、受け取る人によっては「気」を使えばなんでもできてしまうような錯覚に陥りかねない。

もちろん達人の技量を疑うことはない。人間の可能性を示してくれる物凄い技量の持ち主であるのは間違いない。伝えようとしたいことも理解できる。

だからこそ、このようなパフォーマンスをする意味があるんだろうかと疑問に感じてしまうのだ。

ということで買ってきたのは雀鬼桜井章一氏オススメの「イワンのばか」。

愚直に生きよう(笑)


トルストイ民話集 イワンのばか 他八篇 (岩波文庫)

トルストイ民話集 イワンのばか 他八篇 (岩波文庫)


著 者:トルストイ


販売元:岩波書店

発売日:1966-01