バーリトゥード日記

バーリトゥード日記

ジェントルアーツ名古屋ブラジリアン柔術クラブ(NBJC)代表早川正城の日記です。
(題字:一ノ瀬芳翠)

2017年10月

ノーギも柔術だ。


柔術が競技として普及した今、ギ、ノーギは競技としては当然別のものに違いない。


私が始めた頃はギ、ノーギの区別なんてなかった。先生が今日は暑いからノーギでやろうと言えばノーギであり、普段の練習でもノーギでしかやらないメンバーもいた。また、それを周囲も気にも止めなかった。ここらへんのノリも開放的なブラジルらしくって好きだった。


また始めた頃の日本の柔術には競技もなく、いつもの練習はヒールもスラムもあり、希望すれば打撃もありでやっていた。スパーリングは基本的に時間無制限でどちらかがタップするまでだ。


その後、グレイシー柔術の称号はホリオン・グレイシーが商標登録したことにより使えなくなり、ブラジリアン柔術と呼ばれ、競技も開始された。


スポーツ競技としての普及は安全性が重視される。スラムは無くなり、足関節技はどんどん制限されていった。スポーツ競技化として正しい方向だったとあらためて国際ブラジリアン柔術連盟カーロスの・グレイシー・JRの慧眼に敬意を表する。


ギの柔術は盛んになった。一方、ノーギだって柔術だ。そして足関節技もおもしろい。


これがグラップリングツアーのきっかけだった。


私にとってノーギの柔術。これがグラップリングツアーだ。


当然ながら、当初は名称に「柔術」を使うつもりだったが、日本ブラジリアン柔術連盟応援団(自称)の私としては連盟の意向を伺いながら進めることになる。すると足関節技を使いにくくなってしまう。また他の組み技、レスリングや柔道、サンボなどからの参入もしやすいだろうとの思いから、協力団体と話し合い知恵を絞った答えが「グラップリングツアー」となった。


当時、ノーギのプロイベント「DEEPX」を開催していたこともあり、誤解から「早川さんは柔術を見捨てるのですか」とお叱りの声も受けた。


もちろん私が柔術を見捨てたり、見下したりするなんてありえません。柔術、大好きですから。


私的で乱暴な表現が許されるのなら

「柔術家は足関に弱い」とか「キモノがないと戦えない」との謗りにムカついちゃったんだよね。


グラップリングツアーは私、あくまで個人的には柔術なのだ。参加者数がイマイチ伸び悩んでいるが、これは私の努力不足、不徳の致すところ。がんばります。


グラップリングツアーは今後も続けていきます。柔術家のみなさんでノーギも盛り上げてやってください。チャレンジを心からお待ちしています。

GENTEL ARTS。


私たちNBJC(名古屋ブラジリアン柔術クラブ)の理念であり、目指す方向だ。


「自分が傷つかないことはもちろん、相手も必要以上に傷つけない」(byヒクソン・グレイシー)


グレイシー柔術のソフトなコントロール技法、そのスピリットにカルチャーショックを受けた。そして憧れた。


我が師、バルボーザもソフトだ。


相手を痛めつける、傷つける柔術もあっていいだろう。激しく競い合う柔術ももちろんありだ。世界に広まった柔術には様々なスタイルがある。


私たちNBJCは痛めつけたり、傷つけたりを主眼としないGENTEL ARTSを目指したい。


 



プロシューター栗畑君。新婚旅行のお土産をいただきました。ありがとうございます^ ^。


元メンバーの中川君が挨拶にやってきました。柔道の先生方から高評価を耳にしてます。めちゃめちゃ強くなれよー^ ^


モーニングクラス後、日課エクササイズを練りを多めでダラダラと。ランチはガストでフライ三昧(笑)。

反日、自虐史観の日本人がなぜ存在するのか不思議だった。

1960年代反体制左翼勢力、学生運動家がマスコミ、学者の主要ポストについて煽っていると著書は推測する。

日本の防衛、外交に尽くしてきた著書の活動はいまも極秘、機密事項が多いとされる。そんな著書が戦中、戦後史をわかりやすく紐解いてくれる。

戦後まったく問題視されなかった教科書、靖国参拝、従軍慰安婦などが、アジア地域の国際問題となってしまった経緯も、すべて日本の左翼勢力が発端となっている。

いまアジア地域の緊張が高まっている。急増する某国軍事力に、日本はおろか、日米にしても他国の支援なく応じられなくなってきたようだ。

そんな中、先日の選挙の左翼新党の躍進など、反体制派の存在感が不気味だ。

某大国の封じ込めは著書の戦略に基づいているという。世界的長期的展望が重要だ。「もりかけ」など枝葉末節を騒ぎ立てる野党にその能力があるとはまるで思えない。さらに選挙後のドタバタを見るにつけ、この野党が政権を取ったらと思うと背筋が凍る。

著書の主張はすんなりと受け入れらる。わりと一般人に近い感覚ではないかと思う。やはり、反日、自虐史観の方が極端に変なのだ。

この本を読んでここら辺の考えが整理できたと思う。

PS.余談だが、私の地元付近の選挙区に不倫で騒がれた議員がいる。「日本死ね」で有名になった方だ。不倫の方は家庭内の問題なので私たちにはどうだっていい。けれど、あの「日本死ね」が流行語大賞に選ばれた時に満面の笑みで受賞したのは気色悪すぎる。「日本死ね」の問題提起はわかる。でも、それで受賞って。私なら辞退する。だが、この議員も反日、自虐史観なら納得なのだ。

経験上、スパーリングで力む時は套路をやりたくないし、サボりがち。

体内の緊張は相手にとって手応えになる。システマで学んだこと。この緊張ゆえ、相手の力の影響を受けて力みになる。

套路で身体を練ることで体内の緊張を解していく。結果、相手の力を影響を受けにくくなる。

ピラティスで身体の各パーツを点検し、套路などで全体のコーディネートする。こんな流れができつつある^ ^。

相手から自分へのあらゆる攻撃はストレスとなる。攻撃してくる相手をコントロールする柔術は、ストレスをコントロールしているとも言える。


先日のグラップリングツアーには強豪が集い競い合った。その攻防は見応えがあった。


一方、先々週ロシア武術システマセミナーで創始者ミカエル・リャブコ師範の「争わない」思想、術理はカルチャーショックだった。


争う、争わないは真逆だ。そして、矛盾する二つを柔術は消化できると確信にも至った。


柔術にはスポーツ競技としての側面と、ルーツである武術としての側面がある。


どちらが良い悪い、優れているではない。


柔術にはギ、ノーギもある。二つを楽しむだけだ。


同じくスポーツ競技として存分に競い合い。武術として争わない方向も学ぶ。


ここで「争わない」は「逃げ」ではない。「受け入れる」。この感覚が近い。


足関十段の技のキレは凄い、ミカエル師範の術理も凄い。


どちらの技量が上ということではない。技術を争う方に向けるか、争わない方に向けるのかの違いなんだろう。



今朝はノーギスタンド。崩しを中心に。相手の支えにならない。組んだ時は互いに寄りかかり支えあってしまう。この状態をカットできるかどうか。私の研究の重要ポイント。システマミカエル師範も接触前に崩している。

ところで練習中はBGVを流している。今日は足関十段をチョイス。
「痛い方に捻る」
太田さんが極められた腕十字も解説していましたね^ ^。



今宵は肩甲骨の操作にフォーカス。

Cカーブしながら、肩甲骨は上げずに、腕を上げていく。難易度高い。

ピラティスのエクササイズは横で見ているとなんでもないような動作だが、指示通りやると負荷もあるし、結構難しい。


肩のポジションをチェックするエクササイズ。先生のガイドで正しい位置を目指します^ ^。

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