バーリトゥード日記

バーリトゥード日記

ジェントルアーツ名古屋ブラジリアン柔術クラブ(NBJC)代表早川正城の日記です。
(題字:一ノ瀬芳翠)

2013年08月

毎日やっている練功に八極拳の套路がある。
用法は習っていないので、身体を練るために意味もわからずただただ繰り返して十年は経過している。
意味はわからないまでも繰り返しているとそれなりに気づいてくることがある。
なんでこんな動作なんだろう?
ふと狙いを感じることがある。私が使いこなせるわけではないが、とても危険な攻撃だと思う。
いまさらながら「武術」は「殺人術」だと感じる。少なくともケガさせようとしている。
八極拳創設当時の時代の要請で、他の武術も同様だろう。
振り返って現代に「殺人術」としての武術はどれほど必要なんだろうか?危険な技ばかりで試合もできるわけがない。
柔道や空手など「殺人術」としての危険な技術と引き換えに安全なスポーツとして普及した。
武術サイドにはこれを揶揄するむきもあるが、殺人術だけでは時代に残り続けられるとは考えにくいので、生き残る「知恵」とも取れなくもない。
私は「武術」を禁じ手なし、「格闘技」を禁じ手ありのスポーツ競技と区分していて、「武術」と「格闘技」を車の両輪とするのを理想としているが、両者に相当な隔たりがあるのも事実だろう。
先日、世界柔道で優勝した海老沼選手が決勝で相手選手の(柔道ルールでは反則のはずの)立ちからの脇固めで腕を負傷した。これも武術なら正しい選択となる。
でも、私を含め一般論として人がケガする瞬間など見たくない。
この試合を見て感じたことをダラダラと書き綴らせてもらった。

朝夜の練習後にケアしていて胸椎の左回旋がうまくいっていないのに気づいて調整している。

右脇腹の張りは飲みすぎではなかったね(笑)

段々とマトモになっている。

実技、理論、思想、哲学、問わず、情報を詰め込めるだけ詰め込んだら、あとは発酵待ち。

いつものこと(^^)♪

根をはっているともいえる。芽が出るのを待つ。

今宵佐藤クラスは背負い投げ。

立ち技を懸命に練習しても引き込まれるとなかなか使えるものではない(^^;

立ち技をやりたい人の柔術→柔道の流れが出てきそう♪

ちなみに柔術は柔道で禁じられてる技もOKなのだ!

ところで世界柔道で海老沼選手が優勝したが、決勝で相手選手は立ち技から脇固め。たしか、立ち技から体重を浴びせる関節技は反則だったと思うが、もしこれがOKなら攻防が随分変わってしまうが、どうだろう?
海老沼選手は優勝インタビューで相手選手のこの行為を「死に物狂いで向かってきていた」と表現。王者の対応でしたね♪

今日も涼しいね♪数日前の猛暑が嘘みたい。

今宵、三村クラス。スタンドの崩しとタックルでの腕の使い方を修正してもらった。ほんのわずかなことだが効果が違う。

帰宅するとストレッチポールフレックスクッションを使って身体を解している。柔軟性を高めたいこともあるが、49才にしてようやくケアを考えるようになったのだ(笑)

「やってることの意味はわからない。やってる時はわからない」(by宮崎駿)

これ、真理なんでしょうね〜♪

魚は水を意識しないだろうし、人は空気を意識しない。

私は武術格闘技を続けるうちに「強さってなんだろう?」と意味を考えるようになったが、その「強さを求めることが心の弱さ」というジレンマに気づいてきて、なんのためにやってるかよくわからなくなってきたが、練習も研究も工夫もあいかわらずだし、興味は深まる一方で楽しく続けている(笑)。

「なにかのためにやっている」から「ただ、やっている」になってきた。

それは自然な感覚で心地好い。

柔術をやっているのがとても自然。意識しなくなったのは心身に馴染んできたからかもしれない。あたかも空気の如く。

私の問いは歩みを止めない限り、いずれどこかで答えに導かれるだろう。でも導かれなくても別にいい。どっちでもいい。それでいいのだ(笑)

261b0caa.jpg約二年ぶりの柔術魂新刊。

GSB加古選手のベリンボロ解説や岩崎選手のコメントなどなど楽しく読ませていただきました。

中井先生のコメントにある懸念はよく理解できる。

追記:ブルーノマルファシーニ、ミヤオを付属DVDで見た。ボディコントロールがスゴイね♪


柔術魂 Vol.8 (晋遊舎ムック)

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販売元:晋遊舎

発売日:2013-08-26

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