バーリトゥード日記

バーリトゥード日記

ジェントルアーツ名古屋ブラジリアン柔術クラブ(NBJC)代表早川正城の日記です。
(題字:一ノ瀬芳翠)

2013年06月

徐々に回数を増やして毎日300〜500回している四股。

動作を確認しながら一回ずつじっくりとやっているので昨日は500回で1時間かかった。

いまは片足にしっかり体重移動するやり方をしている。ドンと踏み込まない理由はおそらくこれ。

理想的には上体を真っ直ぐ立てたいが、股割ができないと骨格構造的に無理。やや前傾しているので、腰に負担がかかる。

これらがスムーズになった時に回数も自然と増えていこう。

私の四股は完全自己流で試行錯誤で進めているが、雑誌で紹介していた佐川幸義師範のやり方に近づいていってる感じ。

ちなみにてっぽうも少しだがやっている。バシッと叩くようにではなく、重さが浸透するように。体幹を柔らかくする効果がある。やはり四股とてっぽうは1セットなんだろう。

374233f4.jpgネットでペリエを取り寄せた。
円安の影響で値上がりしてイオンだと一本398円が、12本入り1699円で一本当たり141円!安っ♪
アドバイスをいただいた池下「紅」店長の石川さん、ありがとう♪

「勝負の勝ち負けにこだわれば、勝っても負けても心に「汚れ」がつく」
「勝つことだけを目的にするとどうしても精神が卑しくなる」(by桜井章一)

たしかにスポーツに限らず勝負師は(私も含め)独特の「嫌な感じ」を持っている(笑)。

ところが、ヒクソン・グレイシーやマルコ・アントニオ・バルボーザからそんな印象を受けたことがない。横綱白鵬なんかもそうだ。私にはそれが不思議だったが、彼らは勝ち負けではなくおそらく

「いい勝負をしよう」(by桜井章一)

としているからなんでしょうね。それでいて高い技量を持ち、結果として強い。理想です。

もう一つ、

「多くの善行をして、人からいい人だといわれてる人が、麻雀の牌を握ると、先ヅモをしたり、露骨なヒッカケをしたり、勝つためならどんな汚い手でも使ったりする(ことがあって)私は人間の裏を見たようで吐きそうになったことが何度かある」(by桜井章一)

私は麻雀を知らないが、この話はよく理解できる。
組み合うと相手の力だけではなく、感情も感じることができる。稀に先方の「ストレス」や「憎」や「怒」などのネガティブな感情も伝わってくる。その方の心の「悲鳴」しか聞こえないこともある。そんな時、私も決まって嫌な気分になる。

私の柔術のレベルがもっと高まれば相手のそんな感情さえコントロールできるようになると信じている。

さて、今宵はファイトクラブ。手首と膝に違和感がある私は逃げ回るだけのスパーリング(笑)。相手にはオフェンスの、私にはディフェンスの練習となる。こんな柔術も楽しいぜ〜♪

4b4cc15e.jpg某達人の新刊を立ち読み。私は某達人の大ファンなのだ。それでも近年の作品の一部には違和感を感じてしまう。

それは「気」の扱いについて。

私も「気」を感じる(※あくまで私にとっての「気」であり、達人や世間で言われる「気」と同じかどうかはわからない)。

だけど、「気」は見せることができないし、なにかで客観的に測定もできない。

そういったものを技術体系の中心軸に据えるのは、感じられない人にとっては妄信的にならざるを得ず、カルトに陥る危険性があるからだ。

そこでは子供が(「気」で?)数人の大人のスクラムを崩したりと具体的な現象が示されている。

もし子供にそんな力が備わっているとしたら、ぐずる子供を大人は誰も動かすことができないはずだが、実際はそんなことはない。

その現象を実現するのに「なんらかの前提条件が存在する」わけで、「気」を使えばそういうこともできますよという一つのパフォーマンスだと思うが、受け取る人によっては「気」を使えばなんでもできてしまうような錯覚に陥りかねない。

もちろん達人の技量を疑うことはない。人間の可能性を示してくれる物凄い技量の持ち主であるのは間違いない。伝えようとしたいことも理解できる。

だからこそ、このようなパフォーマンスをする意味があるんだろうかと疑問に感じてしまうのだ。

ということで買ってきたのは雀鬼桜井章一氏オススメの「イワンのばか」。

愚直に生きよう(笑)


トルストイ民話集 イワンのばか 他八篇 (岩波文庫)

トルストイ民話集 イワンのばか 他八篇 (岩波文庫)


著 者:トルストイ


販売元:岩波書店

発売日:1966-01

腹が減ってるから、ご飯がめちゃめちゃ旨い!旨すぎる!

練習で汗を流したあとのビールは死ぬほど旨い!旨すぎる!

走らない車だからこそ、運転の楽しみを満喫できる!

底辺ゆえの心地好さ(笑)

935b02ea.jpg将棋の故米長名人は将棋指しは何手先まで読めるかが問題ではなく、直感的に最善手がわかることが大事と語る。

ダメな手をどれだけ読んでも意味がなく、直感的にわかった最善手を時間をかけて精査していく。

直感といっても、あてずっぽうとかそうではなく、五感、知識、知恵、経験などの蓄積から無意識に導き出された論理的なものと考える。

振り返って私の場合もなにかを判断する時に、まずはやはり直感が働き、良いと感じたものを精査していくといった具合。

直感的にわからない時は、あれこれ考えてということになるが、これはあまり良い結果に結びついていないように思う。

結局、あれこれ考えるのは著者の指摘通り「迷っている」だけで、良い判断は直感的に下せるものだ。

「迷い」の中身はおそらく「欲」や「見栄」や「世間体」等など。

もし、直感が狂っているとしたら、そのベースとなる五感や知識、知恵、経験が狂っていることになる。

ようするに日々、五感や知識、知恵、経験を研くことで直感も研ぎ澄まされていくのだろう。

タイトルの「決断なんて一秒」は納得できる。


決断なんて「1秒」あればいい (ソフトバンク文庫)

決断なんて「1秒」あればいい (ソフトバンク文庫)


著 者:桜井 章一


販売元:ソフトバンククリエイティブ

発売日:2011-08-20

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