バーリトゥード日記

バーリトゥード日記

ジェントルアーツ名古屋ブラジリアン柔術クラブ(NBJC)代表早川正城の日記です。
(題字:一ノ瀬芳翠)

2012年09月

67558c44.jpgジェレミー・レナー、エドワード・ノートンとくれば、そりゃ〜観に行きますよね〜。
ただ悲しいかなボーンシリーズ未体験の私には前後の状況がわからず(^^;。予習することをオススメ!

アクションシーンは臨場感で理屈抜きに楽しめます♪



http://bourne-legacy.jp/

「弓と禅」読了。

師匠とは道を示せる人なんだね。

弟子が師自身よりさきに進んでいけるように、歩いていく道を示すことができる人。

巷間、やたら「〜道(どう)」とする風潮がなんだか敷居が高くって私は好きでなかったけど、「道(みち)」って誰もが歩けるようにするという意味だったんだね。

「以心伝心」。弟子には師匠が映るとされる。師匠には戒めとなり、練磨の礎となる。

「うつすとも水は思わず うつるとも月は思わぬ廣澤の池」

ま、そんな域には程遠いけどね〜。

私が今、表現できることは少なくとも、私が歩いてゆく道を伝えることはできる。それはgentle artsへの道だ。

「悪い射に腹を立ててはならないということはあなたはとっくにご存知のはずです。善い射に喜ばないことを付け足しなさい」(by阿波研造)

馬歩、四股、腕立て、振棒、スワイショウ、グランドエクササイズ、套路。

鉄棒を久々に振ってみた。まだ肩に違和感はあるものの振れるようになった。

腕立てはブリージングエクササイズとしてやっている。床でそのままでは回数を追えないため、傾斜をつけ手を高くして楽な姿勢で行う。それにしても筋力を使わない感覚はいまのところまったくわからない。シットアップ、レッグレイズ同様。

スパーリングでは目付と呼吸で思考を止めるようにしている。あとは流れに任せるので時折なんだかわかんない展開になったりするものの序盤は概ね良好。問題は中盤以降、息が上がってきた時。やはり息苦しさに現実へ引き戻される(笑)。

負荷がかかった時の「呼吸力」を鍛えねば。

f0a1c712.jpg写真は「日本の弓術」の完全版ともいえる続編。前作から十年の修行を経て、より掘り下げた内容となっている。
その分、難解さも増している(笑)

「術は術のない術となり、射ることは射ないこと、言い換えれば弓矢なしで射ることとなる。さらに師範は再び弟子となり、大家は初心者に、終局は発端に、そして発端はすなわち完成となる」

そのまま読むなら文章は論理的に確実に破綻している(笑)。いわゆる行間を読み、感性で捉えなければならない。
論理的思考を好む西洋人ならどう受け止めるのだろう。
帯にはスティーブジョブズ愛読書となってるがホントだろうか?(笑)

冗談はさておき、本書では技法を具体的に紹介している。私にとって興味深いのは呼吸法。筋力を使わず呼吸で引くという。著者が師匠の腕を触ってみるとどこにも力が入っていない。

弓射とは
「弓を手に取り→弓をつがえ→弓を高く捧げ→一杯に引き絞って満を持し→射放つ」の五動作。

呼吸法は「息を吸い込んでから腹壁が適度に張るように、息をゆるやかに圧し下げなさい。そこでしばらくの間息をぐっと止めるのです。それからできるだけゆっくりと一様に息を吐きなさい。そして少し休んだ後、急に一息でまた空気を吸うのです。こうして呼気と吸気を続けていくうちにそのリズムは次第に独りでに決まってきます」
「この呼吸法によって、あなたは単にあらゆる精神力の根源を見出すばかりではなく、さらにこの源泉が次第に豊富に流れ出して、あなたが力を抜けば抜くほどますます容易にあなたの四肢に注がれるようになるからです」

弓射各動作は「吸気によってはじめられ、圧し下げられた息をぐっと止めることによって支えられ、呼気によって完了された。その際、おのずから次の結果が生じた」

呼吸によって力を引き出す技法はロシア武術システマにも見受けられ、その呼吸法は腱や靭帯の強化を主眼としていて「セカンドウィンド」と呼ばれる潜在的な予備体力をコントロール、強化するためプッシュアップやスクワットをする。

「呼吸の真価は極限状態でのみ知ることができる」(by「let every breath」)

できる人がいる以上、私たちはできるまで練習するしかありませんね。

「一切を忘れてもっぱら呼吸に集中しなさい。ちょうどほかには何一つなすべきことがないかのように」(by阿波研造)


弓と禅

弓と禅


著 者:オイゲン・ヘリゲル


販売元:福村出版

発売日:1981-11


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249fd93c.jpg鍛練の「鍛」を休止中、「練」の套路、グランドエクササイズを繰り返している。

先日、立ち読みした某達人のある術理に肩のニュートラルを出す効果があると気がついてショルダーブリッジ、そしてシステマレッグレイズと合わせて練習中。私は胸椎が固いのだ(^^;。

ピラティスロールアップもシステマシットアップもできやしないが原因は胸椎の柔軟性にあるようだ。

今日のスパーリングではバックを取らせたところで背骨を使ってエスケープの練習。

02a9dee4.jpg弓術の達人「阿波研造」師範に師事したドイツ人哲学者オイゲンヘリエルの講演録。

「かつては生死を争う戦闘のために習得され修練された術」が「一種のスポーツとして残らず」「精神修養」となった。

「弓術特有の精神」は「血なまぐさいことに使われなくなってはじめて、その精神を完全な清浄のうちに培うこと」を「可能」にした。「この精神は後にこじつけたものではなく、昔から弓術に結びついていた」

実戦から離れることにより、見えてくることもあるようだ。著者はこれを「大乗弓術」と呼ぶ。

「日本のあらゆる術はその内面的様式からいえば「禅」と呼ばれる思弁的(実践を伴わない)でない仏教に遡る」

「弓と矢をもって外的に何事かを果たそうとするのではなく、自分自身を相手にして内的に何事かを果たそうとする意味を持っている」
それは「目的そのものではなく」「目的に至る道」であり、「無術の術」に至れば、的は自身と一体化し、そして自身を射る。

相手と戦うにしても、目や皮膚などからの感覚情報を脳や神経が整理し身体を動かしているので、事象的には自分の中に作り上げられた相手と戦っているわけで、それは自身と戦うに等しいのかもしれない。

「有から無に入る道は、必ず有に復ってくる。それは射手が復ろうとするからではなく、投げ返されるからである」

「日本人にとって言葉はただ意味に至る道を示すだけで、意味そのものは」「行間に潜んでいて」「はっきり理解されるようには決して語られも考えられもせず」「経験した」「人間によって経験されうるだけである」

「無」の境地を伝えたい師範に対し、言葉を無上とし科学的に把握したいヨーロッパ人として疑問を投げかける。

「無」といっても、矢を放つのは「私」ではないか?「的を狙うな」といっても、狙わずにどうやって当てる?

私事で恐縮ながら、厚顔無知な私も単刀直入な質問をよくしている。なぜできる?どうやったらできる?。いつぞやは高名な師範から「君はアメリカ人みたいな質問をするな(笑)」とお咎めを受けたほど。

本書の師匠と弟子のやり取りはどことなくユニークで私はニヤリとせずにいられなかった。

著者が師の教えを受け入れるきっかけとなった暗闇での射のくだりは武を志すものすべての心に語りかける。

PS.先のロンドン五輪で女子が活躍したのをうけてアーチェリーがちょっとしたブームだとか(^^)


日本の弓術 (岩波文庫)

日本の弓術 (岩波文庫)


著 者:オイゲン ヘリゲル


販売元:岩波書店

発売日:1982-10-16


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誰でも気に入った場所があったりする。私もなんとなく気に入ってる場所がある。

なんとなくというのがポイントでその理由は

「ぼーっと」できるからだ。

この「ぼーっと」するのは明確な技術(笑)。どこかに視点を合わせないことで可能になる(ガンツフェルト)。

ぼーっとすることで左脳の論理的思考を休め、右脳の感性を高めることができる。目を閉じると意外と思考が顔を出してくる。目を開いたままがいい。

海や山など雄大な自然の中、景色を眺めているだけで心が落ち着いてくるのも、こんな理由ではないだろうか。

心に迷いが生じた時、頭を休めたい時におすすめ。

すっきりしたら論理的思考に戻ればよい。

ちなみに私は千種イオンのスタバで外を眺めている時がわりと好きだ。


追記:ガンツフェルトについて

視野の中のどこにも焦点を合わせないことを「ガンツフェルト」(全体野)と呼ぶ。武術の「遠山の目付」もこれに似ている。

いわゆる「思考(=左脳)」を停止させる効果があるようだ。「思考(=左脳)」を停止すれば「感覚(=右脳)」は研ぎ澄まされていく。

ヒクソングレイシーは戦いに臨み、「不安」や「希望」も捨て去るというが「無の境地」ゆえなにもないのだろう。

この「無の境地」に至る一つのヒントは思考停止、目の操作(ガンツフェルト)にあるようだ。そういえば宇城師範もヒクソン同様「遠山の目付」だ。

ガンツフェルトは「脳と刀」で紹介している(※かなり読み手を選ぶ作品)。

思考については「奇跡の脳 my stroke of insight 」が大きなヒントになる。

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