バーリトゥード日記

バーリトゥード日記

ジェントルアーツ名古屋ブラジリアン柔術クラブ(NBJC)代表早川正城の日記です。
(題字:一ノ瀬芳翠)

2003年11月


今夜は高校の柔道部OB会。
高校生の私は不良じゃなかったけど、おとなしいほうでもなかったので、当時の振る舞いについてOB会の度に糾弾される。
曰く
「殴〇れた」だの「蹴ら〇た」だの「埋〇られた」だの「屋上から吊〇された」だの「壁を…」だの「備品を…」だの「先生に…」だの…ほとんど暴君!
事実としたら大変だ(小泉調)。
思えば高校時代、どうしてもかなわない先輩OBが二人いて、一人は力士だった。名古屋場所巡業の度に道場に来てボコボコにされる。負けず嫌いの私は色々と立ち向かったんだけど全く歯がたたず(当たり前か?)悔しいのと苛立ちで窓から逃げだしたこともあったっけ。道衣のままだったので暴走族(4人)から「おい、お前強いのか?」とからかわれ、ムカつきまくっていた私はしっかり暴力的に解決したりして…。
なんか色々思い出してきたゾ。
入部当時、一年生はみんな坊主に。坊主が嫌で髪を切らない私は先輩達に呼び出されてはパンチを食らった。時折反撃して結局坊主にならなかった。
そしてそんな頃、二個上の性格の悪い先輩デブが払い腰を(初心者相手にもかかわらず)常に巻き込むので100kgに乗っかられて60kgの私は悶絶させられていた。やりかえそうにも柔道を初めて一、二ヵ月ではそうもいかない(半年後力関係は逆転する)。悔しい思いで帰宅途中のある日、先輩デブの自転車を発見した!それで○¥★♂∞◎※…(^^)v

剣道部の生意気な奴とケンカになったものの、竹刀に一発で伸されたり(苦笑)。

若い頃って元気だよな〜(^-^)


PRIDE統括本部長《男の中の男》高田延彦の自叙伝。著者はサッカージャーナリスト金子達仁で非常に読みやすい仕上がり。
UWFの不可解な解散劇、北尾戦での掟破りの顔面キック、新日との交流戦等の内幕について赤裸々に語る。ヒクソン戦まで真剣勝負はなんとたった二回だけと告白。
このあたりが畑違いのサッカージャーナリストに執筆を依頼した理由か?
プロレスファン格闘技ファンは必読でしょ(^.^)b


強い者同士は勝っても負けても互いに傷つくので、力量を見極めた上で戦わない。武術の世界ではこれを《相抜け》と呼ぶそうです。一つの理想ですね。
互いの強さから抑止力が作用し戦わない。
国家レベルでも同じことだと思います。戦力を持たないものがお題目的に平和を唱えたとしても、現実に起こる暴力にはどう対処するのでしょう?
もし道を歩いていて暴漢に襲われたとしても社民党等の先生方は戦わないのでしょうか?もし家族の身に危険が迫っていても戦わないのでしょうか?
戦わないとしたら生物としての本能を疑いますね。


いま武術が静かなブーム。その火付け約、武術家甲野善紀が講師の8回分の放送が終わった。
甲野師範の紹介する術理の中で、最も興味をひいたのは武術は応用がきくという点。昔の剣豪達は剣がなければ近くのありあわせの物で間に合わせ、それもなければ素手で戦った。剣術をやっていれば武器術や体術にも応用がきいたそうだ。逆もしかり。
現在のスポーツは条件(ルール等)が特化されすぎているがゆえ、他への応用が難しいとみる。
柔術もライフワークとしてとらえるのなら応用力こそ大切だと思うのだが…。


連休はZSTGPにカンペオに東海ブラジリアンの大会があった。我がチームの成績を天気に例えるなら、はれのちくもりのちあめといったところか…
試合に出場した選手達、また応援にかけつけたみなさんお疲れさま。
TAISHO快勝おめでとう。プレッシャーを乗りきったね。それにしても試合後のトップロープ越しのプランチャーにはビックリしたぞ(笑)。
それから同日に行なわれたカンペオや東海の試合で苦戦の若手達。これは産みの苦しみか?止まないあめはない。頑張ろう!


ZSTGPジェイソンマックスウェルを1ラウンド十字でタップアウト。スタンドも危なげなくコントロール。TAISHOは進化し続ける(^^)v
帰路バス中にて


なんとジェイソンマックスウェル体重オーバーのイエローカードスタートになりそうな気配。ほかの計量オーバーの選手達が必死に努力してるのにジェイソン選手は涼しい顔!?もしかして確信犯?(怒)
気兼ねなくブン殴れるムードを作ってくれました。

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