74b7802d.jpg立ち読みで済ませていたが、技法研究の資料として。

大東流合気武術の巨人、佐川幸義門弟の二人の共著。
なんつーか、同じ師匠に学んでも受け取り方は人それぞれなんですね〜。

私個人は「気」の存在を感じるし「霊」的存在もあると思っていますが、こと「武術」に関しては徹底的に物理法則に則っていたいので、超能力チックなのは参考にはしますが、ちょっと苦手です。

某師範は「祈ったり」「アホになる」ことで相手を「自在に」コントロールできるそうですが、仮にそれが事実として、それらによって自身の身体が変化(重心位置など)し、それが相手になんらかの作用を引き起こしコントロールできているものと私は考える方なのです。

「認識できなければコントロールできず、あとは妄信するしかなくなる」(byエリック・フランクリン)ので、それら観念的な切り口は武術の入口として、とても危険だと考えるのです。受け取り方次第では「マインドコントロール」になってしまうかもしれません。

武術系の道場によっては師匠への批判はもちろん質問すら許されないところもあります。技術伝承として絶対服従の師弟関係が大切なのはわかりますが、それは常に妄信と隣合わせになっていることを師である人物は肝に銘じておくべきでしょう。

もちろん、あらゆる術技は「できる」ようになったら、意識的な操作を消していくことになりますから、「結果として」「祈る」とか「アホになる」ような心境になるかもしれません。

佐川幸義師範も超能力的な切り口の合気を否定し、「どれだけ不思議に見えても」、「ちゃんと説明できる理に適ったもの」だとし、私もその姿勢に惹かれたのです。

主張に対し、懐疑的意見も掲載した、ある意味でバランスの取れた一冊(笑)

本書の一方の論にあるように武術としては、まず「戦える」、「できる」が最優先で、中身が力であろうが技術であろうが、超能力であろうがかまわないのです。たとえ超能力があったとしても「戦えなくて」「できない」のでは武術的にはまったく意味がありません。
文化的価値を否定はしませんが、やはり武術の本質ではありません。
武術の修まるところの「戦わない」「使わない」とは目的も過程も到達点も異なるでしょう。

老婆心ながら申し上げておくと、スピリチュアル系を学ぶなら必ず良師につくべきです。自己流はとても危険です。その方面は「精神に異常をきたす」危険性をはらんでいるからで、それら危険から弟子を守ってくれる技量を持つ師匠に学ぶことが大切です。
そして、確かな技量の師匠なら、「因果応報」で不等な対価を求めることはできないはず。教えを乞う人物に「分不相応な釣り合いの取れない対価」を要求するなら、その師は「贋物」か技量を疑った方がいいでしょう。


佐川幸義宗範の“神技"に触れた二人が交わす! 「合気問答」

佐川幸義宗範の“神技"に触れた二人が交わす! 「合気問答」


著 者:塩坂洋一


販売元:BABジャパン

発売日:2012-11-30