3747ae33.jpg「恐山に住職代理の立場で入って八年目」の著者がいきなり直面した問題とは「死者とはいなかる存在なのかということである」
「これを霊魂や心霊現象やあの世や霊界という道具立てて物語る者がいるなら、それはそれで結構だが」「私はその種の語り口に興味はない。私が恐山で身にしみて感じたことを、それらはリアルに語らない」
「直面してみれば、これまで蓄えてきた仏教や禅の知識がほとんど通用しない領域だった」
「苦心して制作してきた理屈が、まるで無効な相手だった」
「となれば、もはや、ここでの経験に今持ち合わせている言葉をとにかくぶつけてみて、反響してくるものに耳を澄ますしかない」
「死者への一番の供養」は「死者が生者と同じようにいるように」「想い出す」こと。
〜以上、本文より抜粋〜

「死者の霊」などと口にすると眉をひそめるむきもあろう。
世はスピリチュアルのプチブームでパワースポットとか話題になっている。
興味ある人とない人では反応も受け止め方も両極端になろう。

ただ絶対にないと否定する「いわゆる大人な意見」の根拠もないわけで、頭から否定するのも科学的な姿勢とはいえない。

「神様も仏様も信じているが、別になくても、それほど困らないのが日本人の気風」(by加藤周一)であり、ステレオタイプの私だが(笑)、不思議な体験は何度かしている。
幸い、身近にその道に長けた優秀な方がいらっしゃるので話を伺うこともできる。
私自身は霊を見たことも触れたこともない。
「認識できないものはコントロールできない」ので、ここは一つ「触らぬ神に祟りなし」で、適当な距離感を保っているのが私。

でも神様はいるとしか思えない。ぎりぎりのところで助けられることが多いからだ。

私は生かされていると感じる。そして生かされているにはなにか理由があるはずなのだ。・・・なにかはわからないけど(笑)

人生の未来より、思い出が確実に多くなってきた私。人生の幕引きを思考する。

「どうせどっかで死ぬんですから(笑)」(byシステマ師範アレックス・コスティック)

二十代の頃、ある講演会で「これからは医療の進歩でほとんどの病気が治ってくるので、なかなか死ねない時代になる」と聞いた。

高齢化社会の現代。死ねない時代にいかに死ぬか。思考の足掛かりとなるかもしれない一冊。


恐山: 死者のいる場所 (新潮新書)

恐山: 死者のいる場所 (新潮新書)


著 者:南 直哉


販売元:新潮社

発売日:2012-04-17