意識は同時に二つのことができない。
無意識なら同時並列的処理ができる。

たとえば車の運転は
周囲の安全を確認しながら・・・
腕でハンドルを操作しながら・・・
足でブレーキ、アクセルを踏みながら・・・
さらに余裕があれば
会話を楽しみながら・・・
音楽を聴きながら・・・

この一つ一つを意識的に行うなら同時並列的処理ができず車の運転は不可能だろう。

某師範の受け売りだが
「(意識的に)両手で同時に〇、△、□を描くことができるが、片方を△、一方を□に描くのはできない」

関連して漫画「範馬刃牙」などで行動は認識から0.5秒遅れるとしているが、人間はそんなにトロくない。
実際の行動を認識するのに0.5秒(0.2秒だったかどっちか忘れた)のタイムラグを生ずる。

これも車を運転中になにか飛び出してきて急ブレーキを踏んだとする。急ブレーキを踏むのは無意識で、踏んだ0.5秒(か0.2秒)後にブレーキを踏んだと認識(自覚)される。

よく考えると会話も似たようなものですべての言語を吟味分析した上でしゃべっているわけではない。言葉にしてからあとで納得できたり理解が深まったりするのはこの理由だろう。

武術で耳にする「先の先」とか「後の先」も無意識の先(「事の起こり」)を取ることで実際の動作の先ではない。(※私は「先の先」が多少わかるものの「後の先」はわからない。)

それが仕事であれ、運動であれ、料理を作ることであったり、勉強であれ、あらゆる物事を「使いこなす」とは無意識化することではないだろうか。

その上で。真の「集中」とは全体を捉えた中から出てくるもので、ぶつからずに運転することそのものが「集中」と考えている。

ハンドルの操作のみに意識を集中したとしても、ぶつかっていては集中とは呼べないのだ。