ことの詳細、経緯につきましては「探偵ファイル」をご覧ください。

ご批判があるのを承知で書かせていただきます。
確かに呆気なく決着が着いたゆえにミスマッチ等の謗りを受けるのも仕方がないのかもしれません。
しかし、それは結果論に過ぎません
勝負は時の運です。
倒れていたのは岩倉だったかもしれないのです。

ヒクソングレイシーは語ります「楽勝なんて勝負はない」
現役で戦いに身をおく者たちの実感です。さらに同じく、もし不可避な事態に現実に対峙してしまったのなら、目の前にいるのが例え世界王者であろうが雲をつくような大男であろうがやるしかないというのも実感なのです。それを仕掛けてくるのが老人であってもです。まして柳師範は単なる老人ではありません、大ベテラン武術家なのであります。

そしてこれは事前にルールの打ち合わせもあり、レフリー(鬼木)を立てての交流試合であり、道端でおこなわれるような喧嘩や決闘とは本質的に異なります。

したがって武術家柳龍拳師範と岩倉の交流試合は断じて暴力ではないのであります。

確かにみなさんが感じている通り、試合は後味の悪いものであり、私達が望む展開ではなかったのも確か。しかし、決して邪な気持ちなどではありませんでした。

当初は誤解から感情的なこじれもありましたが、話し合いで誤解は解け、この度の交流戦となったわけです。

私自身、本音を明かせば、この様な試合が実現するとは思ってもみませんでした。あの舞台に上がるのは両者とも物凄い恐怖心に包まれたであろうことは想像に難くありません。
それらを乗り越え正々堂々と戦った二人は「男」だったと思います。
これを「単なる暴力」と論じるのは戦った柳師範、岩倉双方の本意ではありませんし彼らの気持ちを踏みにじるものであります。戦った両者の真摯な姿勢をぜひみなさんにも理解してほしいと願っています。

かつて高田延彦はヒクソンに敗れることでプロレスラーを幻想から解き放ちました。

もしかしたら、柳龍拳師範も敗れることにより武術家を幻想から解き放つ役割を果たしたといえるのかもしれません。

高田ヒクソン以来、プロレスラーは競技派とエンターテイメント派に別れました。

これからは武術家もネットや誌上で持説を口論しあうのではなく、また限定条件付きの宴会芸の域を越えて、現実に具体的にどう使用するのかを問われる時代になっていくのではないのでしょうか?

プロレスラー同様、競技&実践指向派やエンターテイメント派、健康体操派があっていいと思います。

ヒクソン戦後の高田が語った
「これで終わりだと思わないでください。これからが始まりなのです。」

武術家としてまた人生の大先輩である柳師範の心意気に深く感謝するとともに敬意を表します。

その後、柳師範とTBJサイドは友好的に話し合い、今後は技術交流する方向にあること。
柳師範のおケガの回復が良好にあることをお知らせしておきたいと思います。

今一度、男の生き様をとくとご覧あれ!!交流戦動画

最後に、試合直後、いの一番に柳師範を気使った岩倉と立会人の岩間の二人の後輩を私は誇りに思います。