柔術は相手と接触する。慣れれば目を閉じてもスパーリングができる。不思議なことに体の一部が触れていれば相手がどこにいて何を仕掛けようとしているのか大体わかるのだ。こういった技術を中国拳法では聴勁と呼んでいる。
寿司職人はにぎりの米つぶの量を間違わない。大工は材料のわずかなズレも触って感じる。植芝盛平は拳銃の玉すら避けたという(!?)。思うに人間の感覚は認識できる以上に精巧にできているのではないのだろうか?大切なのは、その潜在能力を信じられるかどうかだ。